連載書き下ろし小説
なお、この星の上に
写真:川上信也
プロデュース・ディレクション:東裕治
昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?
エピローグ
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epi-13
そのうちに徘徊がはじまった。家を出たものの道がわからなくなる。記憶が保てないこの病気ではしばしば見られる症状だったい。そんな調子で数年が過ぎるうちに、身のまわりのことに介助が必要になった。しばらくは息子夫婦が世話をしていたが、さすがに手に負えなくなって、いまは全介護の体制が整った施設に入っている。
「美味いやろう、ここの蕎麦」話のあいまに豊は言った。
健太郎は機械的に頷いたが、実際のところ味などわからなかった。自分のほうこそ行方知れずになった気分で、何を食べているのかもあやふやに、ただぼそぼそと喰っている。蕎麦には山菜の天ぷらの他に、デザートということなのだろう、黄な粉をまぶしたわらび餅が付いていた。
「かえって昔のことは覚えとるらしい」豊は皿に盛られた天ぷらを、つけ汁に浸して美味そうに口に運びながら言った。「ただ新しく記憶することができん。脳のなかの記憶を司る細胞がダメになっとるんだな」
豊の使った「司る」という言葉に、健太郎は軽い嫌悪感をおぼえた。
「おまえのことはわかるのか」いくらか不服そうな口調でたずねると、
「いや、わからんみたいやな」そう言って、豊はちょっと悲しそうな顔をした。「もともと印象が薄かったのかもしれんな。知り合いということはわかる。だが名前が出てこん。誰かを特定することができんのよ」
いまのところ身体的には元気だという。ただ発達年齢としては四、五歳くらい、というのが豊の見立てだった。
「カネの管理ができんというから、もうちょっと下かもしれん」
そのうち幼児以下になる。排泄のコントロールができなくなり、言葉を話したり、歩いたり立ち上がったり、微笑んだりすることもできなくなる。最終的には身体の機能を維持することができなくなる。ものを飲み込むことなどができなくなり、昏睡に陥って死ぬ。何年先のことになるかわからないが、ほぼ確実に清美の身に起こることらしい。
頭で理解はできても、健太郎の気持ちはなお受け入れることを拒んでいた。懐かしい清美の声が甦りかける。その声は遠かった。かつて自分よりも近くにあった声が、いまは遠く、やがて永遠に失われてしまう。そのことをどう受け止めていいのかわからなかった。
「奥さんは元気か」豊がたずねた。
「ああ、元気だ」
「夫婦仲はうまいこといっとるか」
「なんだよ、藪から棒に」思わず憮然とした声になった。
「いや、ちょっと訊いてみただけ」
片山恭一
愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。
川上信也
1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。
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