連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第二章

2-7

 食べ終わると、茶碗のなかに白湯を入れ、まず箸を洗う。それから茶碗をゆっくりまわして、なかをきれいにする。つぎに茶碗の湯を汁椀に移し、同じようにする。最後にその湯を飲んでしまえば、口のなかもきれいになるという寸法だった。きれいになった食器は引き出しにしまい、つぎの食事のときにまた出してくる。さすがに副食物の皿は流しに持っていくが、取り皿に残った菜などは、そのまま引き出しに入れておき、次回のおかずになった。
 年に何度か、全部の引き出しを取り出して水で洗い、天日干しにする。その際、健太郎は祖父の引き出しの隅に黴が生えているのを目撃したことがある。だから内心は父が言うように、引き出しに食器をしまうのは不衛生だと考えていた。
 衛生面の問題はともかく、飯台に引き出しが付いていること自体は便利であり、各自が自分流の使い方をしていた。たとえば祖母は毎日服用する薬を入れていた。食事が終わって、茶碗に注いだ白湯で薬を飲めば飲み忘れることもない。健太郎は自分用のふりかけを入れているし、綾子などは筆箱やノートといった学用品を入れている。彼女は学校から帰ってくると、この飯台の上で宿題をするのだった。
 玄関の引き戸が開く音がして、父親の惣一郎が板の間に入ってきたのは、家族の者たちが大方食事を終えようとするころだった。
「こりゃ遅なったのう」と言いながら、父親は自分の場所に腰を下ろした。
「どこ行っとりましたか」母親が茶碗に飯を装いながらたずねた。
「茂さんの家におった」
「こんな時間まで」
「茂さんとこの牛がやられてな。これからも同じことがあっちゃ困るんで、みんなでどうにかせにゃならんと相談しよった」
「病気か」祖父がたずねた。
「どうも野犬に襲われたようです」父親は答えた。
「野犬が牛を襲うかの」
「そこがわしらにもようわからんので」父親は困惑した表情で箸を止めた。「いままでなかったことですけん」
「犬が牛を襲うとはのう」祖父も思案顔で考え込んだ。
「電気柵を作ってもろたらええよ」綾子が口を挟んだ。「エランで発電した電気を通すんよ。犬が柵に触ったらビリビリって感電しよるわ」
「綾ちゃんは発明家だの」祖母が笑いながら言った。
「これからは科学と民主主義の時代やて、先生も言いよんさったよ」
「綾子は難しい言葉を知っとるのう」祖父が感心したように言葉をつないだ。「その民主主義いうのを、じいちゃんにも教えてくれんかの」

7/11

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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