連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第二章

2-6

 しかし同じ理由で、便所が外にあるのはどうかと思う。広い庭では一年を通して様々な農作業が行われる。農具の手入れ、収穫された野菜や果実の選別、秋には稲の脱穀や天日干し。そうした農作業の途中で入れるようにと、便所は庭の東側、脱穀機や鍬や鋤などの農具や、袋詰めにされた穀類などを置いておく納屋の隣に設けてある。おかげで夜中に便所へ行くには相当の覚悟が必要だった。四月には六年生になる綾子などは、いまでも母親か祖母についていってもらうことがある。
 土間は石灰を混ぜた土をき固めた三和土だった。この土間に、軽く水を打ってほうきで掃くのは綾子の仕事になっている。去年あたりからは、それに米を研ぐことも加わった。綾子に米の研ぎ方を教えたのは祖父である。できるだけ少ない水で、一粒も米をこぼさずに研ぐことが肝心だった。この研ぎ方を、祖父自身は軍隊で習ったのだという。
 食堂になっている板の間の飯台には、すでに幾品かの料理が並べてあった。老眼鏡をかけて新聞を読んでいる祖父は、健太郎が入っていっても顔を上げない。最近は耳も少し遠くなっているらしい。綾子が母親の手伝いをして調理場から飯櫃めしびつを運んできた。蓋を取ると、白い湯気が濛々もうもうと上がる。健太郎はにわかに空腹をおぼえた。母親が汁の入った鍋を持ってきた。
「お父ちゃんは」
「知らん」
「牛小屋にはおんさらんかったか」
「見んかった」
「なにしよんさるんやろうな」
 祖母が部屋に入ってきたときも、父の姿はなかった。すでに配膳も終わり、健太郎は早く食べたいと思っている。
「惣一郎はまだ戻らんのか」ようやく新聞から顔を上げた祖父がたずねた。
「どこ行っとるんでしょうな」母親が答えた。
 結局、父の帰宅を待たずに、五人は先に食事をはじめることにした。飯台は畳一帖ほどもある大きなもので、三枚の板を張り合わせた天板の下に少し長めの脚が付いている。卓の両側には、引き出しが四つずつ付いている。それぞれに坐る場所がきまっているので、なかに自分専用の食器をしまっておくことができる。しかし引き出しを本来の用途で使っているのは祖父くらいだった。父親の惣一郎は、不衛生だという理由で早々に使うのをやめてしまった。子どもたちは父親に倣い、やがて祖母と母親も大勢に準ずることになった。
「なんが不衛生なもんか」祖父一人が超然として、いまだに引き出しを使いつづけている。「昔からこうやってきたのやけん」

6/11

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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