連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第二章

2-4

 夕方の搾乳を終えて家に入ろうとすると、庭の井戸に祖母が蝋燭と水を供えていた。健太郎が牛の乳搾りを日課にしているのと同様に、彼女は毎夕、井戸に供え物をして手を合わすことを欠かさない。井戸には水の神さまが棲んでおられる、というのが祖母の口癖だった。だから井戸の水をいただくときには、「お水をいただかせてください」と口にし、汲んだあとは「ありごとうございました」とお礼を言う。そうすれば水が涸れることはないという。
「乳搾りは終わったんか」健太郎に気づいた祖母がたずねた。
「終わった」
「ご苦労やったの。ご飯食べよ」
「その前に、風呂に火をつけてくる」
「ああ、そうか」
 井戸は広い表の庭のほぼ中央にあり、隣は祖父が鯉を飼っている池だった。秋祭りのときなど、祖父は自ら料理した鯉を客にふるまうのを楽しみにしていた。池の近くには、ドラム缶を使った高架の貯水タンクがある。タンクに水を汲み上げるのも健太郎の仕事だった。手こぎ式のポンプに全体重をかけて一気に汲み上げる。この水はパイプを伝って母屋に配給される。水圧が弱まると出が悪くなるので、タンクはいつも満たしておかなければならない。
 水道が来ていない健太郎たちの村では、ほとんどの家がこうした自家水道を備えていた。雑用水は家の横を流れる小川から引いていたが、風呂で使うぶんは祖父が工夫して、雨樋の水を集めて浴槽に注ぐようにしている。せっかく降った雨を、ただ地中に戻すのはもったいないというわけだった。余った水は桶に集めておいて畑に撒く。顔を洗う洗面器の水も、残ったものは草花にかけてやる。
 この老人は、とにかく無駄にすることが嫌いな性分で、利用できるものはなんでも利用したいと考えている。人に頭を下げて生きるような生き方はつまらない、というのが信条だった。そのためには自給自足がいちばんだ。頭を使って、自分の暮しは自分の力で立ち行かせていく算段をすることだ。だから一日も早く村にも水道が来てほしいという女たちの願いを、祖父は馬鹿げたことだと考えていた。水は天から自然と降ってくるのに、なぜ金を出して水道局から買わなければならないのか。一家の長の言うことを、女たちはほとんど聞き流しているようだった。

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片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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