連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第二章

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 健太郎は家の者たちとは少し違う理由から、やはり雌牛の誕生を望んでいた。雌は搾乳牛として飼育されるが、雄は去勢され、肉牛として育てられる。どう考えても雌として生まれたほうが、牛は幸せなように思える。もちろん雌牛も乳を出さなくなれば、売られて肉にされるのだが、それでも健太郎は雌に生まれてほしいと思う。
 雌か雄かにかかわらず、子牛が誕生する瞬間は感動的なものだった。出産に立ち会う最大の理由は、それを自分の目で見届けたいからかもしれない。生まれた子牛は、すぐに母牛の顔の前に連れていく。母牛は疲れ切っているにもかかわらず、子牛の身体をなめてきれいにしてやる。子牛は薄く目を開けており、しきりに頭をもたげようとする。三十分か一時間もすれば、よろよろした脚で立ち上がる。はじめは前脚が折れて前のめりになったり、横倒しになったりしながらも、何度か挑戦しているうちに一歩ずつ前に歩みはじめる。子牛は一週間ほどで母牛から離し、売られるまでの二ヵ月ほどは、祖父が大事に世話をした。
 牛の世話をしていると、その肉を食べようという気にはなれない。他の者たちも同様らしく、たまに近所の農家などから牛の肉をもらっても、あまり嬉しそうな顔はしない。頻繁に食べるのは鶏だった。家で飼っているものを、ときどき祖父がつぶして肉にする。みんな美味そうに食べるが、健太郎はこれも好んで食べる気にはなれない。どちらかというと嫌々食べている。妹の綾子などは、首の軟骨をなたでミンチにしてつくった団子が、いちばん美味いなどと野蛮なことを言っている。こうした状況で迂闊に口を滑らせれば、祖父から「ケツの穴のこまいやつ」とからかわれるにきまっている。
「健太郎、太い糞をせえよ」
 山に棲む魔物の話とからめて、そんなことを言うのが祖父の悪い癖だった。このあたりの者たちは、山と付き合わずには暮していけない。とくに男は、木を伐るにも猟をするにも、山の奥まで入っていく必要がある。山ではいろいろなことが起こる。ときには身体中の血が凍るような怖い目に遭うこともある。気の小さい男では耐えられない。祖父自身も若いころから何度もそんな目に遭ってきたらしい。肝の坐り具合は尻の穴によってきまる。そして尻の穴の大きさは糞の太さによってわかる、という理屈だった。
「太い糞をするためには、飯をいっぱい喰わねばならんぞ」
 要するに、食が細くて非力な男は山仕事には向かないということである。たしかに祖父はよく食べた。健太郎の父よりもたくさん食べるくらいだ。綾子も好き嫌いなくなんでも食べる。健太郎は非力な男と馬鹿にされるのがしゃくなので、苦手なものでも無理をして食べている。

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片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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