連載書き下ろし小説
なお、この星の上に
写真:川上信也
プロデュース・ディレクション:東裕治
昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?
第二章
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健太郎の一日は牛の乳搾りからはじまる。バケツに搾った生乳は金属製の容器に入れ、リヤカーで近くの集配所に運ぶ。これが毎朝の日課だった。夕食の前にも、もう一度乳搾りが待っている。休みの日でも関係ない。搾乳を怠ると、牛は乳房炎を起こすことがある。家では三頭の牛を飼っており、いずれも乳牛だった。搾乳の他に餌やりや畜舎の掃除など、大切な収入源である動物の世話を、健太郎は中学になってから任されている。
牛に乳を出させるためには、定期的に種付けをしなければならない。だから毎年数頭の子牛が生まれてくる。牛は難産と言われるが、たしかに健太郎がおぼえているかぎり、すんなり生まれたためしはなかった。ときには夜通しかかって、明け方にようやく生まれることもある。牛たちの世話をするようになってから、健太郎は出産に立ち会うようにしている。いくら遅くなっても、子牛が無事に生まれてくるまでは起きていた。
子牛が生まれるときは、家中に緊張感が漂う。女たちは大きな鍋に湯を沸かすなどして準備に追われる。父親と祖父は母牛を刺激しないように、少し離れたところから静かに見守っている。いよいよ出産が近づくと、母牛は藁の上に坐り込む。やがて尻から子牛の入っているピンク色の袋のようなものが出てくる。これが破れると、子牛の脚が見える。破れないときには、人間の手で破水させてやることもある。
前脚が出てからも、子牛は容易には生まれない。母牛は立ち上がったり、寝転んだりを繰り返す。途中で餌を食べることもある。明らかな難産の場合は、子牛の脚を持って引っ張り出す。父親と祖父が二人がかりで引っ張っても、びくともしないことがある。そんなときは子牛の脚に紐を結びつけ、家中が総出で引っ張る。まるで母牛と人間たちが綱引きをしているみたいだった。誰もが雌の誕生を望んでいる。乳牛として高く売れるためだが、こればかりは人間の力ではどうにもならない。
妹の綾子などは、庭の隅に祀ってある山の神さまに願いを叶えてもらうつもりでいる。普段、彼女はこの場所へ行くのを怖がっていた。庭の北側に疏水を引きこんだ水場があり、その奥の小さな祠に山の神は祀ってある。庭木とはいえ、鬱蒼とした樹木に囲まれた一隅は昼間でも薄暗い。しかも祀ってあるのは、山の神という得体の知れない神さまである。山には魔物が棲むという話を、兄妹は小さいころから聞かされて育った。自然の恵みをもたらしてくれたり、山に入る者の安全を守ってくれたりする、ありがたい神さまであることは理解していても、「山の神」という言葉には、どこか恐ろしい響きがあった。
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片山恭一
愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。
川上信也
1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。
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