連載書き下ろし小説
なお、この星の上に
写真:川上信也
プロデュース・ディレクション:東裕治
昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?
第一章
1-10
男たちは暗いトンネルのなかで昼も夜も鉱石を掘りつづけている。健太郎たちが学校で勉強しているあいだも、家の布団で寝ているときも、地中で休む間もなく掘りつづけている。子どもたちの未来のために、街という街を明るく照らすために。豊が言うように、これから日本は工業の国になっていくのかもしれない、と健太郎は思った。
結局、その日は昼近くまで猟をつづけたけれど、これといった成果を上げることはできなかった。武雄の強力なゴム管も、雑木林に残っている葉をいたずらに散らすばかりで獲物に命中することはなかった。だいいち獲物らしい獲物に遭遇することさえない。これなら池や田んぼでカモでも狙ったほうがましだった。
歩き疲れた四人は、日の当たる暖かい草原に仰向けに横たわった。空にはやわらかな光が溢れている。風が顔の上を吹き渡っていく。目を閉じていると眠気に誘われそうになる。ここは穏やかさと安らぎに満ちた光の王国だ、と健太郎は思った。生命を脅かすものは何もない。大きく息を吸い、ゆっくり吐いた。呼吸に合わせて、太陽の熱に温められた身体が少しずつ膨らんでいく気がする。そして草原のいっぱいに広がっていく。
自分が大人になった日のことを想像してみた。まだ何十年も先のことだ。そのころには、今日が遠い昔になって、多くのことが忘れ去られているだろう。ある一日、彼はこの草原にやって来る。そして同じ場所に寝転ぶ。すると何もかもが同じ姿で甦ってくる。この草の上に寝転んで目を閉じれば、いまの自分たちの姿を見ることができるだろう。太陽の日差しの暖かさや、鼻先をかすめていく風の匂いを感じることができるだろう。何も失われない。すべてはこの場所、この土地とともにありつづける。
「やっぱゴム管で獲物を捕るのは無理じゃな」武雄がどこか投げやりに言った。「早いとこ免許をとって猟銃を持ちたいの」
健太郎は静かに目をあけた。一瞬、眼球が光のなかへ砕け散っていくような錯覚にとらわれた。もう一度目を閉じると、瞼の裏側に深い闇が見えた。
「おまえ、本当に猟師になるんか」身体を起こしながらたずねた。
武雄は草の上に横になったまま答えなかった。またからかわれると思ったのかもしれない。
「新吾はどうする」
「家を手伝う」すでに起き上がっている新吾は迷いのない口ぶりで答えた。
「高校には行かんのか」
「行かん」
新吾の父親は結核で、もう何年も町の病院に入っている。家は農家で、二人の兄が父親に代わって田畑を守っていた。上の兄は結婚して子どももいるから、実質的な跡取りと言っていい。学校の成績も悪くない新吾は、高校へ行こうと思えば行けるはずだった。
「そろそろ帰るか」豊が見計らうようにして言った。
誰も返事をしなかったが、みんな気持ちは昼飯のほうに向いている。やがて立ち上がると、気だるいような眼差しをさまよわせた。
「見てみ」武雄が言った。「イヌワシじゃ」
四人は雲ひとつない青空に目をやった。上空を一羽の鳥が舞っているのが見えた。
「あいつがおっては、キジもノウサギも怖がってよう出てきよらん」武雄は手ぶらで帰るための口実を見つけたみたいに言った。
10/10
片山恭一
愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。
川上信也
1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。
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