連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第一章

1-9

  村の幹線道路が舗装されたのは、健太郎たちが六年生に進級するころだった。近所の中学生の一人がローラー・スケートを持っていた。ほどよく勾配のついた舗装道路は恰好の遊び場となった。それはちょっとしたブームと言ってよかった。何人かの子どもたちが相次いで、親にローラー・スケートを買ってもらうことに成功した。手に入れ損なった子どもたちは、仲間のスケートを貸してもらった。なんでも自分で製作する性分の武雄は、古くなった下駄の歯を切り落とし板底に戸車を釘で打ちつけた。いかにも不細工なローラー・スケートは、たしかに滑るには滑ったが、すぐに戸車が外れてしまうので武雄もあきらめて、途中からは友だちのスケートを借りて滑ることにした。しかしトラックの往来が増えてくると、道路でのローラー・スケート遊びは危険だということで禁止された。
 そんなふうにして山は切り開かれていった。健太郎の祖父は「山が動きよる」と言った。日ごとに山の姿が変わっていくことを、そんなふうに喩えた。
 「山の仕事も、人間がやりよるあいだは間違えるこたあね。人のやることには限度があるでな。斧や鋸で一日に何本も木を伐るこたあできん。無理をすりゃあ、身体のほうがえろうてまいってしまう。どうしても身体と相談しながらのことになる。ところが機械は限度いうもんを知らん。そこが困ったとこよ」
 多くの木が伐られ、開削のためのスペースが整地された。坑口の近くには、大量の木材が積み上げられていた。坑道の天盤を支える支持材として使われるものらしい。掘られた鉱石はトロッコを使って運び出される。そのためのレールが敷かれ、トロッコのための操車場も設けられた。運び出された岩石は、坑道の近くの小山をなして積み上げられていった。
 その年の秋には、小学校の生徒が全員で鉱山へ慰問に行った。鼓笛隊で練習した曲を演奏し、最後に生徒を代表して、清美が作業の安全を願う内容の作文を朗読した。鉱員たちのほとんどは、単身で働きにきている人たちだった。平地が乏しいために、彼らが寝起きするための住居は谷間の傾斜地に密集して建てられている。ヘルメットにキャップ・ランプを装着した男たちは、下を向いていくらか照れ臭そうに、清美の朗読に耳を傾けていた。全員が爪先に金属板が埋め込まれた安全靴を履いていた。
 現場責任者のような人が、慰問にたいする感謝の言葉を述べ、鉱山での仕事について簡単に説明した。仕事の内容や役割の分担。採石とともに延びていくトンネル。週ごとに変わる勤務シフトによって鉱員たちは一日二十四時間、エランを掘りつづけている。「トンネルのなかでは、昼も夜も関係ありません」と男は言った。校長先生をはじめ、引率してきた先生たちは軽い笑い声を上げたけれど、子どもたちは誰も笑わなかった。どこがおかしいのかわからなかったからだ。

9/10

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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