連載書き下ろし小説
なお、この星の上に
写真:川上信也
プロデュース・ディレクション:東裕治
昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?
第十九章
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19-2
だが、いま考えているのは、そういうことではない。死んだシカのことだ。道端に横たわる一頭の若い牡のシカ。おそらく餌を探しに里のほうへ出てきたのだろう。牡のシカは繁殖期に備えて身体を大きくする必要がある。気に入った相手がいたのかもしれない。意中の雌を得るためには、他のものたちよりも強くなければならない。森が提供してくれるものだけでは充分ではなかったのだろう。危険を冒して食べ物を探しに来た。そして運悪く車に撥ねられた。
シカはただ横たわっていたわけではない。自分がやって来たほうへ顔と身体を向け、前足を伸ばして横たわっていた。シカは思い出の方角にいたのだ。少しでも近づこうとしていたのだろう。愛らしい雌のシカが待つ森へ。まるで勢いよく疾走しているみたいだった。鼻を森のほうへ向けて、自分がやって来たところ、帰っていきたいと思っているところへ……。シカは横になったまま力尽きていた。その姿を、イヌワシは美しいと思った。
これまで自分が殺した動物たちのことを考えることがあった。もちろん一匹一匹をおぼえているわけではない。キツネ、タヌキ、ヤマドリ、キジなど、いろいろな動物を食べてきた。雨が多い時期には大型のヘビ類が主な餌になった。その時々に殺した動物は、彼にとってはたんなる獲物であり、餌に過ぎなかった。だが月のない暗い夜など、岩棚の巣で休んでいるときに、ふとウサギの丸い目が浮かぶことがある。懸命に逃げるウサギの目だ。彼は上空から風を巻いて襲いかかる。もはや時間の問題だ。とても逃げきれるものではない。そのことはウサギにもわかっている。何も見ていない丸い目は、すでに虚ろだった。瞳には静かな慄きが映っている。
生きるために多くの命を奪ってきた。そうやって自身の命をつないできた。だが森の王にして一流のハンターを自任するものであっても、子孫を残すことはできなかった。彼が最後の一羽となった。ここで朽ち果てるのだ。死んで、死骸となって、他の動物たちの餌になる。それが自然の掟である。王であろうとなんであろうと関係はない。すべての生き物は一つの環のなかで生まれ、死んでいく。何ものも抜け出ることはできない。環のなかでは、強いものも弱いものも等しく小さな命だった。
片山恭一
愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。
川上信也
1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。
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