連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第十九章

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 彼自身が掟によって生き残ったとも言える。卵から孵るのが、ほんの少し早いか遅いかだけの違いだった。先に殻を破って出てきた彼は、あとから出てきた雛をつつき殺し、その肉を食べて生き延びた。なぜ自分だったのだろう。理由はない。たんなる偶然だ。獲物が少なく、一羽の雛しか育つことができないという環境が、二つの個体を生と死に分けた。善でも悪でもない自然の掟、何ものも逃れることのできない環のなかで起こる、ありきたりの出来事だった。
 一つのものであった自分たちは、そのようにして引き裂かれた。同じ母鳥の腹から生まれ出たものが、この世界の掟に触れた瞬間に、食べるものと食べられるものに分かたれた。不運な雛の身体は文字通り引き裂かれ、小さな肉片となって彼の腹のなかに収まった。そうして生き残った彼が、あのとき殺した弟のことを思い出している。珍しいことだった。普段はほとんど思い出すことがない。いや、これまで一度でも思い出したことがあっただろうか。弟の肉を食べたあと、彼は尾羽を少し上げるぎこちない仕種で生まれてはじめての糞をした。白い糞はペンキのように岩肌を汚した。それきり自分が食べた弟のことは忘れてしまった。
 だがいま、自分のなかにその存在を感じる。たしかに感じるのだ。そうとも、おまえはいまもおれの腹のなかで、おれとともに生きている。これが最後のチャンスかもしれない、とイヌワシは思った。この機会を逃せば、永遠にここを離れることはできないだろう。おれとおまえで旅立つのだ。彼は自分を奮い立たせるようにして、ともにいるものに語りかけた。眼差しの焦点を彼方へ合わせた。上昇気流を捉えれば、羽ばたかなくとも長い時間飛びつづけることができる。あとは風まかせに飛んでいこう。二つのものが一つになれば、怖いものなどありはしない。たとえ力尽きても、おれたちは一つのものでありつづける。
 広げた羽の下に力が満ちてくるのを感じた。身体がふわりと浮かびかける。風の匂い、光の温もり。生命が香る。あのときと同じだ。最初の巣立ちのときから、おれたちはずっと一緒だった。ともに空を駆けてきた。ともに餌を捕ってきた。二つの命を一つにつないできた。そしておれたちはいま、再び駆け出そうとしている。あのときと同じように。おまえとおれと、二つで一つの生命を漲らせて。上空から見れば、地上の生と死は些細な違いでしかない。破壊された森は百年ほどで蘇る。そんな悠久の時間を、今日も明日もおれたちは渡っていこう。

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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