連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第十八章

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18-8

「なんの話かねえ」清美は呆れたように言った。
「夢のなかで、わしはシカやった」
 清美は訝しげに健太郎を見た。話の素性を確かめようとしているみたいだった。からかわれていると思ったのかもしれない。その明るく澄んだ目はシカに似ている。
「わしは自慢の角を打ち振りながら、どんどん歩いて行った」健太郎は話をつづけた。「ときどき柔らかい木の葉や、香りのええ草を食べながら歩いて行った。角の枝のあいだを風が吹き抜けるときにヒューヒューと音がして、それを見たドングリの子どもらは喜んだ。わしはきれいな声で鳴くことができた。声は遠くまで届いた。声に引き寄せられて、たくさんの雌が寄ってきた。女に好かれる男のシカやったのよ」
「おかしな夢を見るもんやね」清美は素直におかしそうに言った。「鉄砲で撃たれて寝とるもんが」
「別嬪のシカがおってな」健太郎はかまわずにつづけた。「シカはわしのことをやさしい目でじっと見とった。真っ黒い目に、頭に堅い角の生えた立派な牡のシカが映っとる。それが自分だと思うと、なんやら角のあいだがこそばゆい気がしてきて、わしはそいつのことが好きになった。シカの目を見たことがあるか」
 清美はあるともないとも答えなかった。
「きれいな丸い茶色の目じゃよ。その目にわしが映っとる。立派な角をもつ男のシカで、森の王様みたいに堂々としとる。わしは誇らしい気持ちになった。シカの目に映った自分を、いつまでもじっと見とった」
 健太郎は言葉をおいて清美を見た。彼女も眼差しを逸らさなかった。二人はしばらく言葉もなく見つめ合った。
「馬鹿な夢やね」清美はうつむいてひとりごとみたいに呟いた。
「世界の果てまで行ってきた」精一杯の言葉を繰り出した。「世界の果てには、二つのものが一つになる場所があってな。あのとき鉄砲を向けられた一匹の犬が自分に思えた。自分と一つのものが撃たれると思うた。なせそんなことを思うたのか、うまいこと説明はできん。とにかく撃った者が撃たれとったわけじゃな。それが世界の果てで起こったことで、帰ってきたらおまえがおった。清美とわしがおった。二つで一つのものが、わしとおまえになっとった。鉄砲の弾が当たったときは一人やったのに、いまここにおる自分を一人とは感じん。なせやろうな」



片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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