連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第十八章

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 塞き止められていた時間が再び流れはじめていた。生と死のあいだにあった不思議な無拘束の状態が去ると、生きることの煩わしさが戻ってきた。数日間は生死の境目をさまようようであったらしい。本人は少しも知らなかったが、両親は一時、息子の死を覚悟しかけたという。もっとも綾子の言うことだから、いくらか誇張も入っているだろう。
 医者に言われたことを思い返した。数センチ逸れていたら危なかった。当たり所が悪ければ死んでいたかもしれない。そのことに冷静でいられる自分が不可解だった。遭遇しかけた死は、平凡で日常的なものに思えた。肉体が消滅することへの恐怖はほとんどなかった。事実としての死は恐ろしいものではなく、甘美な幻想のようにも思えた。
 母親は細々とした世話をするために長く病室にいた。父も毎日のように顔を出した。綾子は祖父母と一緒にときどきやって来た。見舞いにやって来る者が増えて病室は賑やかになった。日曜の午後には馴染みの顔が現れた。
「おまえは馬鹿だの」武雄は開口一番に言った。「山狩りをやっとるなかに入っていくとは、撃たれにいくようなものやが」
 どうやら自分の怪我はそういうことになっているらしい。健太郎は他人事みたいな気持ちで思った。それならそれでいいという気もした。
「傷はもうええのか」新吾がたずねた。
「だいぶええ」健太郎は答えた。
「顔色もええみたいやな」豊が大人びたことを言った。
 三人の顔が三様に、以前の印象とは違って見えた。どこがどうというわけではないが、自分と彼らとのあいだに目に見えない隔たりが生じている気がした。半透明なスクリーンが下りているようでもあった。懐かしい者たちに疎遠な感じがともない、そのことに健太郎は言葉にならない寂寥感をおぼえた。しばらく会わなかったせいなのか、病院のベッドに寝ていることによる変化なのかわからなかった。
「退院はいつごろになるんか」再び新吾がたずねた。
「あと一週間くらいと先生は言いよる」
「学校の勉強が遅れたな」豊が気がかりそうに言った。
 予定通り退院できたとしても、入院は一ヵ月近くに及ぶことになる。年が明ければ間近に高校入試が控えていることもあり、母親に家から勉強道具を一式持ってきてもらっていたが、あまり活用してはいなかった。教科書を読んでみたけれど、どの教科も頭に入らない。英語や古文・漢文の音読くらいなら頭を使わずにできる。身の証を立てるような気分で日課にしていると、看護婦に勉強熱心だと褒められた。

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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