連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第十八章

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18-1

 眠りと目覚めの境界がはっきりしなかった。何度も目覚めては、すぐにまた眠りに落ちた。目覚めは眠りのようであり、眠りのなかにも覚醒があった。そんなことを繰り返しているうちに、自分がどこにいるのかわからなくなった。病院のベッドの上にも、暗い森のなかにも、幻の草原にも……いずれにもいて、どこにもいなかった。夜は長くもあり、あっという間に明けるみたいでもあった。
 声が聞こえた。見知った声もあり、見知らぬ声もあった。家族や見舞いの者、病院の医者や看護婦、入院している患者たち。何度か「健太郎」という声を聞いた。誰かが自分を呼んでいる。実際は、病室に入ってくる人たちが声をかけていくのだろう。しかし健太郎には、どの声も清美の声に聞こえた。その声によって自分は赦されている。どんな罪を犯したのか、その罪はなぜ赦されたのかわからなかった。ただ漠然とした解放感のなかに、拘束を解かれたような安堵の感触があった。
 微熱がつづいていたけれど痛みはなかった。痛みを感じる身体を失くしてしまったのかもしれない。傷は腹と胸に二箇所あり、いずれも急所を外れていた。あと数センチ逸れていれば危なかった、と予断を許さない時期が過ぎてから医者に言われた。その傷も日を追って癒えていった。ベッドから下りて部屋のなかを歩きまわることができるようになった。あるとき部屋のなかが薄暗いことを訝しんで窓に近寄ってみると、病院の中庭に雨が落ちていた。
 その日は夜の消灯時間を過ぎてからも雨の音を聞いていた。雨音に意識が紛れるようにして、いつかの遠い草原を想っていた。青白い芒の草原だった。夾雑物きょうざつぶつもなく、孤独なまでに広々とした草原を、二頭の美しい馬が駆けていく。二つで一つのものだけが通れる道がある。そんな茫漠とした思いをたどって、道は遥かなところにあった。彼のなかにも道はあった。その道をどこまでも行きたかった。自分がいまここに一人であることの寄る辺なさを感じた。

 身体は日ごとに軽快になっていった。足もなめらかに運べるようになっている。傷が癒えてというよりは、少しずつ身体の筋肉がついてきているみたいだった。治療といっても傷口の消毒をするくらいだったが、化膿止めの注射は毎日打たれた。小さなガラスのアンプルにヤスリで傷を付け、指の爪で軽く叩くと、ガラス瓶は先の細くくびれた部分から小気味のいい音を立てて折れた。看護婦は注射針を突っ込み透明な薬剤を吸い上げる。一連の動き流れるようで淀みがない。どこか厳粛でもある。そんな作業を眺めるのが健太郎は好きだったが、注射はとても痛かった。

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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