連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第十七章

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 健太郎の心のなかは冷え冷えと静まり返っていた。沈黙が長くつづいた。突然、森中が異様な響きに包まれた。それは森に集っているものたちが発す、憎しみとも悲しみともつかない声だった。
「わたくしにもひとこと言わせてください」
 また別の声がした。
「あなたは牛さんの寿命がどのくらいか、ご存知ですか」
 これは質問だろうか?
「まあ二十年を下ることはないでしょうね」声はつづけた。「野生で自然な寿命を全うすることは難しいにしても、まずまずの年月を生きる見込みはあるわけです。ところであなたが飼っておられる牛さんの場合はどうでしょう。オスの子牛は数ヵ月で肉にされます。メスにしてもせいぜい四年か五年でしょう。しかもそのあいだお乳を出すため、ずっと人工的に妊娠させられっぱなしです。生まれた子牛はただちにお母さんから引き離され、あっさり殺されます。それもこれもただ、あなたがた人間が柔らかくて美味いお肉を食べるためなのです。教えてください、いったいどこに善きものや美しいものはあるのですか? いくら目を凝らしても、わたくしには何も見えません。
 人間は動物を捕らえ、飼い馴らし、家畜として扱っているうちに、彼らが痛みや苦しみを感じる生き物であることを忘れてしまったのではないでしょうか。生まれてすぐに母親から引き離された子牛の苦痛を想像なさったことがおありですか。考えてもみてください。母親と結びつきたいという強い欲望がなければ、子牛は母親に守ってもらえず、お乳ももらえず死んでしまいます。母親と一緒にいたいという衝動は、感情よりももっと深い本能に根ざしたものであるはずです。当然のことながら、この衝動が満たされなければ子牛はひどく苦しみます。あなたがたがやっていることを見ていると、むしろ子牛は牡として生まれ、数ヵ月であっさり殺されたほうが幸せかもしれないと思えることがあります。多くの乳牛は定められた生涯のほとんどすべてを、狭い囲いのなかで自分の排泄物のなかで立ったり坐ったり寝たりして過ごします。水と餌だけをたっぷり与えられ、病気の予防接種をされ、数時間ごとに搾乳され、定期的に種牛の精子で妊娠させられながら。そして先ほども申し上げたように、子牛たちは母親に甘えることも他の子牛たちちと遊ぶこともできずに一生を終えます。短くても長くても、あなたがたが牛さんたちに強いている運命は悲惨のひとことに尽きます。

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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