連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第十七章

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「生きるために喰うのは自然の理だ」声は即座に返ってきた。「動物たちは、みんなこの理のなかを生きている。善悪などという愚かな観念をつくり上げてしまった人間も、かつては自然の理を生きようとしていた。地上に生を受けた以上は、どんなものも潔白や無垢ではありえない。そこに生きることの苦悩や悲哀を汲み取ろうとしていた。そのかぎりで人間もまた大きく自然の輪を外れることはなかった。本当に殺さねばならないときにだけ、生きていくのに必要なときにだけ動物たちを狩り、祈った。なぜ祈るのか? 兄弟だからだ。家族だからだ。生きるために兄弟や家族を殺す。自分が殺した兄弟や家族のために祈る。かつての人間は、そんなふうに動物たちとの関係を考えていた。いまはどうだ? 昔はおまえたちの心が読めた。だが近ごろはわからなくなった。
 生きていくためにやむをえず動物を殺す、それは仕方のないことだ。ならばせめて、どのくらい必要としているのか、なんのために必要とするのか、動物たちの生命を奪う以上は、そうした問いを自分に向けてみるべきではないのか。本当に奪わなくてはならない生命なのか、どうしても必要なのか。知っているか、手当たり次第に鹿を撃ち殺し、ほとんどは捨ててしまう連中がいることを。競争をやっているのだ。誰がいちばん大きな鹿を仕留めるかという競争だ。こんな愚かしいことのために鹿は殺されるのだ。鹿だけではない。人間の馬鹿げた楽しみのために多くの動物が殺されている。酒を飲んで動物たちに銃を向けて撃つものまでいるというではないか。なぜなのだ? まるで理解できぬ。鹿にも親がいて子どもがいることに思い至らないのか。動物たちにも家族があり、夫婦や親子や兄弟姉妹のつながりがある。おまえたちがそういうことをつづけているから、いまでは人間たち同士が狩り合うようになっているではないか。誰もが互いが兄弟であり、家族であることを忘れているのだ。
 目をあけてよく見るがいい。この地球上で、いまや人間だけが除け者だ。おまえたちだけが輪の外にいる。仲間はずれにされていることを、自分たちがすぐれていることと思い違いしている。無思慮というだけでは足りない。あまりにも愚かで浅はかなのだ。もう少し成長して心を開き、われわれの輪のなかに入ってくるべきではないのか」
「おれにも言わせてくれ」
 闇のなかから別の声がした。その声は、先ほどまでの声よりもずっと近くから聞こえてきた。

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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