連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第一章

1-4

 小学校を卒業すると、村の子どもたちは少し離れた町の中学校に通うことになっている。他の幾つかの村の子どもたちも通ってくるのだが、家が近所ということもあり、中学生になってからも四人は何かと行動を共にすることが多かった。
「健太郎は医者になるんだろ」しばらくして豊は言った。
「医者じゃのおて獣医じゃよ。まだはっきりきめてないがの」
「それなら普通高校だの」
「獣医になるには、大学へ行かないかんけんね。栗山の話では、よっぽど勉強せねば行かれんらしい」
「健太郎は勉強好きやけんええが」武雄が言った。
「別に好きやない」健太郎はやや心外そうに答えた。
「武雄は本当に猟師になるんか」新吾が真顔でたずねた。
「わしは勉強は嫌いじゃ」
「かあちゃんはなんも言わんのか」
「なんも言わん。未亡人会の仕事が忙しゅうて、息子のことを考えとる暇などないらしい」
「何がそんなに忙しいのか」新吾は素朴な疑問を口にした。
「わからん」
「豊も進学やろ」健太郎は話を持ち出した本人に言葉を向けた。
「まあなあ」豊は煮え切らない返事をした。
「普通高校か」
 豊は再び下を向いて考え込んだ。
「担任になんか言われたんか」健太郎は探りを入れるようにたずねた。
「先生はなんも言わんが、家の者がな……」
 健太郎と武雄は同じクラスだったが、他の二人はそれぞれ別のクラスだった。しかし四人とも、お互いの成績くらいは知っている。豊の成績なら当面の進学には問題ないはずだった。
「反対なんか」健太郎がさらにたずねると、
「親は高専を勧めよる」と豊は言った。
「高専か」
 健太郎が行こうと思っている普通高校は、隣町とはいえ自宅からバスで通うことができる。しかし県内に一校しかない工業高等専門学校となると、自宅から通学することは無理だった。それに高専は全寮制と聞いている。
「これから農業はだめらしい」豊は受け売りの口調で話しはじめた。「この先、日本は工業の国になっていく。高専に行って技術を身につけたほうがええとうちの親は言うのよ」
「農業がだめいうが、おまえんとこも農業やろうが」新吾が不信感をあらわにして言った。「わしは家を継いで農業しよう思いよるのに、そんなことを言われては困るの」
「高専へ行きとうねえなら、親にそう言やあええ」健太郎は控えめに口を挟んだ。
「そうじゃ」新吾も同調した。
「わしにはどうもできん」豊は悲観的に答えた。
「おれと一緒に吉右衛門爺さんとこに弟子入りして猟師になるか」
 武雄が言うと、豊は相手のほうをちらりと見て、人生の苦難を一身に背負ったような大きな溜息をついた。

4/10

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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