連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第一章

1-3

 シュッという音とともに、小石は空気を切って飛んでいく。あまりにもスピードが速くて、目で追うことができないほどだった。残念ながら実には命中せずに、枝に残っていた葉が数枚落ちただけだったが、ゴム管の威力は明らかだった。
「だいぶ飛んだの」健太郎は感心したように言った。
「当たったら一発だの」新吾が石の飛んでいったほうを見たまま言った。
「もうちょっと的が大きけりゃあ当たるぞ」武雄の顔には小さな汗の粒が浮かんでいる。
 四人は再び歩きはじめた。棚田の二番穂は、この時期は茶色になっている。冬のはじめには燃えるような蜜柑色みかんいろだったチガヤも、いまは褐色に近い暗い色をしていた。土手やあぜ道にレンゲ、タンポポ、オオイヌノフグリなどの草花が咲きはじめるころには、春休みも終わりに近づいている。
「四月からは三年生だの」それまで黙っていた田部豊が口を開いた。
「二年生が終わったら三年生になるのは当たり前やが」武雄が小馬鹿にしたように言った。
 豊は出端をくじかれた感じで下を向いた。四人のなかで、豊はいつも割を喰う役まわりだった。気が小さいので、なんとなく見くびられている。
 村では毎年、夏休みの終わりに青年団の主催で肝だめしが行われる。通過儀礼的な意味合いをもつイベントで、小学六年生の男子は全員、これに参加しなければならない。いま一緒に歩いている四人が、その年の六年生だった。
 墓地と火葬場と避病院ひびょういんという三つのコースがあり、どのコースになるかは直前まで明かされない。健太郎たちの年は避病院だった。それを聞いたとき、豊はほとんど泣きそうになった。もちろん墓地や火葬場も嫌だが、避病院の気味の悪さは格別だった。もともと伝染病にかかった者たちを隔離するために建てられたもので、いまは閉鎖され廃墟になっている。松林のなかにあり、昼間でも暗い避病院のまわりでは、夜になると魔物が出ると言われていた。
 そこを夜更けに一人で一周しなければならない。順番は籤引くじびきによってきめられる。最初が武雄で、二番目が新吾、三番目が豊、最後が健太郎だった。武雄と新吾は無事に帰ってきたが、三番目の豊は青年団の若者に背負われて戻ってきた。肝試しではコースの途中に何人か若い衆が潜んでいて、やって来る小学生を脅かすのが恒例となっている。彼らの迫真の演技に、豊は恐怖にかられて腰を抜かしてしまったらしい。このハプニングのせいで、脅かすほうもやる気をなくしたらしく、最後の健太郎はそれほど怖い思いもせずに済んだ。

3/10

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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