連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第一章

1-2

 いつのまにか竹林のところまで来ていた。そろそろウグイスが鳴きはじめる季節だが、いまのところ林のなかは静かだった。竹林の横は柿畑になっている。これらの柿は出荷用で、実を採りやすいように、大人が手を伸ばせば届くくらいの高さに揃えて剪定されていた。鮮やかな緑の新芽が出てくるのは、あとひと月以上も先のことだ。いまは節くれだった丸裸の枝を、まるで何かにつかみかかろうとするかのように、雲ひとつない空に向かって伸ばしている。
 やがて道は棚田のあいだを縫うようにして上りにかかった。土手にも何本か柿の木が植えられているが、ここらの柿はほとんどが渋柿だった。出荷用と違って、こまめに剪定もされないため、枝は伸び放題になっている。
 健太郎の祖母は干し柿を作るのが上手かった。母親の話によると、嫁に来たころから評判だったそうだ。いまも器用に皮を剥いて干し柿を作る。ただ乾かすだけではだめで、かびを生やすために、途中で取り込んで藁に入れたりしなければならない。意外と手間のかかる作業である。その甲斐あってか、表面に白い粉を吹いた祖母の干し柿は見た目にも美しかった。軒下の竹竿に柿が吊るされているのを見ると、また冬がやって来るのだなと思い、健太郎は少し物悲しい気分になった。
 干し柿にするためには、熟す少し前に実をとって皮を剥かなければならない。これが面倒なので、多くの実が取り残されたままになる。とくに枝も折れそうなほどたわわに実った年は、粒が小さいので干し柿にも向かない。残された実は枝に付いたまま熟していく。
 その時機を見極めて、ムクドリたちがやって来る。ツグミやヒヨドリやオナガもやって来る。彼らはよく熟れた柿が好物だった。ときどき一つの実をめぐって喧嘩をしている。たくさんあるのだから別の実を食べればいいようなものを、人間と同じで鳥たちも意地を張り合うらしい。群れでついばんでいるところをゴム管で狙えば、一発くらい当たりそうな気もするが、なんとなく心ないことに思えて、健太郎はいつも二の足を踏んでしまうのだった。
「武雄、あの柿を撃ってみ」枝の先に残っている干からびた柿をさして、健太郎はけしかけるように言った。
「ちょっと遠いの」武雄は思案げに答えた。
「無理か」
「なんが、当てちゃる」
 武雄は足もとの手ごろな小石を拾った。あいだに挟んでゴムを引き絞る。歯を喰いしばり、必死の形相で引っ張っている。固唾を飲んで見守っている三人も、加勢するように拳を握りしめている。石が放たれた。

2/10

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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