連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第九章

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 言葉をかけておいてから、生垣のほうへゆっくり足を進めた。相手は動かずにこっちを見ている。あいかわらず一言も言葉を発しない。ひょっとして口が利けないのではないか、と健太郎は思った。そこのあたりだけが、ひときわ暗い闇に包まれているように感じられた。あと四、五メートルという距離まで来たところで、影は不意に生垣を離れた。逃げ出そうとする足の運びではない。その姿が月の光の下に出た。やはり中学生くらいの少年だった。
「おい、待て」
 声をかけると、相手は立ち止まった。首だけ振り向いてたずねた。
「おまえ、わしらの仲間か」はじめて口を利いた。
「なんのことじゃ」
 見たことのない少年だった。
「仲間なら一緒に来い」
「どこへか」
 少年のほうは用は済んだというように、健太郎に背を向けて歩きはじめた。
「どこに住んどる」
 答えなかった。立ち止まりさえしない。腹立たしさよりも不可解さのほうが勝っていた。庭は寒く、薄着の身体は冷え切っている。
「おかしなやつじゃ」吐き捨てるようにつぶやくと、健太郎は母屋のほうへ急いだ。
 どこから来たのだろう。布団に戻ってから、あらためて先ほどの少年のことを考えた。こんな夜中に何をしていたのだろう。近隣に住んでいるなら知らないはずはない。ほとんどの者は顔見知りである。他所から来たのだろうか。この村に親戚でもいて、そこに寝泊りしているのだろうか。一方で、健太郎は少年のことを前から知っている気がした。やって来ることを予感し、待ち望んでいた気さえする。おかしな感じ方だった。
「馬鹿くさい」
 布団をかぶって寝てしまおうと思った。得体のしれない不安が健太郎をとらえて離さなかった。何かがたどり着いたのだ。家々を襲う疫病みたいなものが、夜陰に紛れて庭先までやって来た。それとも自分のほうがたどり着いたのだろうか。どこかへ漂流していきそうな心地になった。自分の心が自分のものではない。すでに夜は、これまでと同じではなかった。

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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