連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第九章

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9-5

 夜の空気の冷たさに思わず身震いをした。自分が不健康なことを考えている気がした。頭に残るモヤモヤしたものを洗い流すように、健太郎は汲み置きの水で乱暴に手を洗った。
 母屋に戻ろうとしたとき、庭の隅の生垣のところに誰かいるのに気づいた。こんな時間にうろついているのは灰拾いくらいのものだろう。灰拾いのねぐらは山間の火葬場だった。そこは彼のねぐらでもあり、仕事場でもある。骨揚げが済んだあとに残った骨と灰を、火葬場の裏の集積所に運んで始末するのが仕事だった。その際に灰のなかを掻きまわして、歯の詰め物に使ったわずかの金や銀を拾い集める。稀に指輪などの貴金属、宝石類が見るかることもあるらしい。それらは彼の副収入になった。いくらか不道徳な副業をさして、大人たちは「灰せせり」と呼ぶこともあった。古い呼び名である。「せせる」という言葉がわからなくなっている子どもたちは、わかりやすい「灰拾い」を使った。
 健太郎たちの仲間内では男のことを「ガーグー」と呼んでいた。生まれつき言葉が不自由で、「ガー」とか「グー」としか言わないからだ。本人は何か言葉を喋っているつもりなのだろうが、健常者の耳には「ガー」や「グー」といった擬音にしか聞こえない。ガーグーは夜になると村に出てきて、家々を徘徊する。そして畑の作物や、庭先の木に成っている無花果や柿を持っていったりする。たいした量ではないので、どの家も大目に見てやっている。健太郎の祖母のように、残りの飯で握りなどをつくって置いてやる者もいる。子どもたちのなかには、ガーグーは腹が減ると焼け残った骨を齧るのだと言う者もいたが、これはいかにも嘘臭かった。
 しかし今夜の訪問者はガーグーではなかった。ガーグーは大柄な男である。いま生垣のところにいる者は、健太郎と同じ背格好で体つきも少年っぽい。
「誰かの」
 危険のない相手と見て警戒もせずにたずねた。庭に植わった大木が月の光を遮って、その姿は暗がりに紛れている。
「そんなところで何をしよる」

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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