連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第九章

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9-2

 顔を上げると、源さんはじっと川の流れを見ていた。川原の石が陽に灼けて熱くなっている。その匂いがする。草木が風に揺れる。水が流れる。いろんな匂いが一つになって懐かしい匂いがする。名前を呼ぶと振り向いた。この人になら話せそうな気がする。自分の秘密を打ち明けることができそうな気がする。
「おやじさんの加減はどうかね」
「ああ」源さんはちょっと疲れた顔をして、「良くも悪くもねえ」と言った。「あいかわらず口をあけて寝ておる。あのまま口をあけておっ死ぬんじゃねえかと思う。覚悟はできとるよ」
 たずねたいことを逸らして、具合の悪い父親のことに言葉を向けたのはかえって悪かった気がした。後ろめたさを紛らわすように空を見上げた。雲一つない青空だった。
「雨、降らんなあ」と呟いてみる。
 源さんは釣られるように顔を上げた。明るい日差しのなかで時間が透明になっていく。時間が透き通ると、時間を超えてありつづけるものが姿を現す。
 小学生になる前から、この川で仲間たちと泳いだ。年上の者たちが遊びを取り仕切るのが習わしだった。健太郎たちがいちばん年少だったころ、水中に放った石を取ってくる競争をさせられたことがある。流れに揉まれながら、川底に沈んだ指定の石を懸命に探す。それは遊びというよりも、延々とつづく無慈悲な修練に近かった。ようやく解放されたときには、誰もが身体の芯から冷えて震えていた。
 学年が上がるに連れて、年下の子どもたちが増えていった。年少の子どもたちに、今度は健太郎たちが同じことをさせた。唇が真っ青になるまで、川底の石を取ってくることを繰り返させた。どうしてあんなことをしたのだろう。誰に命ぜられたわけでもなく、どこか後ろ暗いような気持ちを秘して、心の襞に陰湿な喜びを感じながら。それはかさぶたになった傷のように、健太郎の記憶に残りつづけた。降り積もった後ろ暗い記憶が、森を育てたのだろうか。
 源さんはじっと川の流れを見ている。彼も子どものころには、この川で泳いだはずだ。やはり年長の者たちに競争をさせられただろうか。そして年少の者たちに同じことをさせただろうか。源さんのなかにも森はあるのだろうか。
「やっぱり雨は降らんかな」誘い出すようなたずね方になっていた。
 源さんはちょっと警戒するように健太郎のほうを見た。ここで下手な駆け引きはしたくなかった。
「雨乞いを出しても雨は降らんと源さんは言いよったろう。なせそう思うたのか」

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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