連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第九章

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9-1

 太陽の光が直に触れてくるのを感じた。空は端から端まで青い。山の輪郭は鮮明で、近くに生い茂る草木は葉の一枚一枚が数えられるほどくっきり見える。祖父の話を思い出した。何もかもが驚くほどはっきり見える日がある。普段は見えないものまでが見える。そんな日が年に一日か二日はある。今日がその日かもしれない、と健太郎は思った。
 森が騒いでいる。暗い原始の森がうごめいている。森は彼のなかにある。身体の奥まったところにあって、いつもは眠ったように静かにしている。だが目を覚ますと厄介なことになる。森が広がりはじめる。なかにあったものは外に溢れ出し、いつのまにか彼を包み、取り込んでしまう。気がつくと自分のほうが森のなかにいる。
 川に来ていた。水が涸れはじめている。普段は水の下にある岩が白く剥き出しになっていた。流れが緩やかなところでは川原が広がっている。自分の影が、足元に濃く短くうずくまるように落ちていた。一人だった。ただ一人という以上に一人だった。森が騒ぐ日には一人でいたかった。誰とも話したくない。本当は誰かに打ち明けたかったが、言葉を向ける相手を思いつかなかった。祖父か、父か……相手が誰であれ、うまく説明できるとは思えない。
 水音が聞こえた。川下から水のなかを歩いてくる者がいる。一瞬、吉右衛門爺さんかもしれないと思った。顔を上げて待ち構えた。正体が明らかになったとき、健太郎は落胆していいのか安堵していいのかわからなくなった。それから日差しの下に出たような心地がして、頭のなかが明るくなった。
「源さん」と声をかけた。
「おう」
 相手は気安く手を挙げて応えた。いつものように手造りのヤスを持っている。
「魚を獲りよるのか」
「そのつもりで来たが、どこにも魚がおらん」
「雨が降らんけんかの」
「たぶんそうやろ」
 源さんは川から上がると、健太郎のほうへ歩いてきた。
「こんなところで何をしとる」近くの石に腰を下ろしながらたずねた。
「なんも」ありのままを答えると、
「そうか、なんもせんことをしとるか」
 源さんはおかしそうに笑った。額の汗が光っている。それからふと静まって、
「今日は何もかもが黙っとる」と謎めいたことを言った。「お山も森も魚も喋らん。鳥も風も水も歌いよらん。川はただ流れとるだけじゃ。こういう日は寂しい」
 その寂しさに、健太郎の心も染まっていくようだった。だが源さんが感じている寂しさは、どこか穏やかで温かみのあるものだった。動物や森や水や魚たちの沈黙とともにある寂しさ、何かが再び戻ってくることを予感させる寂しさだった。

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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