連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第八章

最初から読む <

8-5

 しばらく考えてから言った。
「しかし世の中は、そっちのほうへ進んでいくんやろうな。科学や産業が進歩すれば、人は山や土地にひっついとらんでも生きていかれるようになる。家族や親戚や村を離れても生きていかれるようになる。綾子も言いよったように、機械が入れば一人で田植えでも稲刈りでもできる。自分の考えで自由に農業ができる。それはええことには違いないが、みんなが別々に生きるようになることでもある。村で農業をしよる者らも、だんだんそうなっていくやろう。まして町に出て働くとなると、もっと人と人は別々になる。自分は自分、他人は他人でばらばらになる。そうなったときに何を頼りにするかといえば、やっぱりカネということになる。これから世の中は、ますますカネの話が中心になっていくやろうな」
 この人の話はまわりくどい、と健太郎は思った。下手な思慮深さは相手を退屈させる。その退屈さが、人を緊張させる類のものであるのは困ったものだ。
「町で暮らそう思うたことはないのか」率直にたずねてみる。
「なせか」父は意外な顔もせずに言った。
「村には不便なことが多いやろ」
「そんなに不便かの」
 そう言われると返答に困る。
「町のほうが面白そうじゃ」苦し紛れに答えた。
「そう思うか」
「わからん」
 ここで暮らすのが嫌だというわけではない。不都合なところもあるが、いいところもある。それでも健太郎は、村の暮らしを否定してみたかった。その気持ちは遠くのほうで、父の生き方を否定したいという思いにつながっているのかもしれなかった。
「ここには自分の家がある」父はむしろ寂しげな声で言った。「家族や友だちもおるし、だいいち農業をする土地がある。村を出たいとは思わんかった。町のほうが面白いとも、あんまり思わんかったみたいやな」最後は他人事みたいな口ぶりになっていた。
「都会に行って、いろんなものを見たいと思わんかったんか」
「兵隊のときに、ちょっとだけ都会におったことがある」父は淡々と言葉を返した。「ほとんど兵舎のなかばかりやったがな。それでも都会のことは少々知っとる。外国にも行った」
「中国やろう」
「そのころは満州いいよった。いまのソ連に近いところだ」
「あんまり外国いう気がせんな」
「そうかもしれん」父は素直に受けた。「アメリカやイギリスにくらべればな」
 健太郎の頭のなかに昭の父親のことがあった。ほとんど無意識に、自分の父とくらべていたのかもしれない。そのことを見透かされたような居心地の悪さを感じた。

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

Copyright © bokuralab Design by Yuji Higashi