連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第八章

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8-3

「勉強はええのか」いまさらながら気遣った。
「今日はもうええ」健太郎は答えた。
 父は将来のことをたずねた。当面の進路については話してあるし、父もそれは承知のはずだった。
「内藤さんとこの子は、同じクラスやったな」
 昭のことだ。
「話はするのか」
「ときどきする」
「どんなことを話すんか」
「教科のこととか。勉強ができるけんね、内藤は」
「健太郎よりもできるか」
「科目による。数学はわしのほうができるが、英語はかなわん」
 健太郎は自分たちが、本来話すべきことのまわりをぐるぐるまわっている気がした。
「一緒に遊んだりはせんのか」
「せん」
 しだいに不機嫌な気分になってきた。このごろは親に勉強や成績のことを話題にされると鬱陶しい気がする。適当なところで切り上げて部屋へ引っ込もうと思った。すると父は唐突に、
「天狗の木をる話を知っとるか」と行き先の見えない話を持ち出してきた。
「知らん」ぶっきらぼうに答えた。
「そうか」と言って、それきりになりそうだった。
「どんな話ね」気のない言葉が口をついて出た。
「だいぶん昔の話やが」そう前置きして、父は話しはじめた。
 明治の末か大正はじめのころ、山に道を通すために一本の木を伐ることになった。樹齢何百年にもなる大きな楠で、その形状から「天狗の腰掛け」と呼ばれていた。いかにも天狗さまが腰掛けるのに具合のいい枝ぶりに見えたのだろう。そういう木が昔はたくさんあった。伐ると悪いことが起こるとか、たたりがあるとか言い伝えられていた。もっとも実際に伐った者はいないから、本当のところはわからない。少なくとも村の者は誰も伐ろうとはしなかった。
「やっぱり気持ちのええもんやないけんね、そういう由緒ある木を伐るのは」父は顔を上げ、「健太郎は木を伐ったことはあるか」とたずねた。
「こまい木はある」
「どうやって伐った」
「普通に鋸で」
「小さなものならそれでもええが、大きな木を伐るときには、どっちに倒すかを決めてから斧を入れねばならん」
 今夜は父にしては珍しく口数が多く、木を伐る話を訥々とつとつとつづけた。「受け口」というらしい。これをしっかり開けていないと、木は思うほうへ倒れてくれない。そのあとで反対側から鋸で挽いていく。「追い口」を入れるという。このとき何かおかしなことが起こる。斧を入れると斧が抜けなくなったり、追い口を挽いているときに鋸が折れたり。ただ事ではないと思い、村に帰ってから年寄りなどにたずねてみると、そのとき伐ろうとしていたのが謂れのある木とわかる。逆に奇妙なことがあると、あれは山の神さまや物の怪が取り憑いた霊木いうことになり、誰もその木を伐ろうとはしなくなる。こうしていわれのある木が増えていくことになる。

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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