連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第八章

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8-2

「わしは知っとるで」源さんが得意げに言葉を挟んだ。「褌一張で川に入って六根清浄を唱えながら水を掛け合うのよ」 「もっと細かなきまりもあるでな」と父が言った。
 こうした寄り合いに源さんが加えられるのはなぜだろう、と健太郎は不思議に思う。何か建設的な意見を述べるわけではない。議論を先に進める上では、ほとんど役に立たない。しかし大人たちが源さんを寄り合いの席から外すことはなかった。役に立たないことを承知で仲間に加えている。からかったり悪意のない冗談を言ったりしながらも、彼が同席することを大人たちは望んでいるようにも見える。
 その源さんがさりげない口調で、
「雨乞いを出しても、わしは雨が降らんと思うな」と言った。
「おい、めったなことを言うもんやないぞ」岩男さんが真顔で咎めた。「山の神さんが聞いとったら気を悪うされるが」 「源さんよ、雨乞いを出すことがきまった以上は、縁起の悪いことを言うてもろうちゃ困るぞ」仁多さんが穏やかに釘を刺した。
「わしはなんも言わんよ」源さんは澄まして答えた。
 近いうちに雨乞いを出すことで、大人たちの話はまとまりつつあった。できるだけ早いほうがいい。一日も早く雨に降ってもらわなければならない。雨乞いの儀式を復活させるのは悪いことではない。町の者たちが言うことは気にかけずにおこう。村には村の事情がある。いまは時代錯誤と見られても、後々振り返れば、あのとき雨乞いを出して良かったということになるかもしれない。少なくとも、村の人々の気持ちを結束させる契機にはなるはずだ。そんなことを男たちは言い合った。
 雨乞いに出るのは二十歳そこそこの若者だった。いずれ自分たちも雨乞いのためにお山へ登るかもしれない、と健太郎は思った。いつもの四人が頭に浮かんだ。権現滝で汲んだ水を一滴もこぼさず、夕暮れまでに村へ持ち帰る。今回、雨乞いに出る若い衆は、古来のしきたりに則って滝の上から石を投げ入れるのだろうか。滝壺に棲んでいる龍を怒らせて雨を降らせるなどという言い伝えを、健太郎は信じる気になれない。雨乞いの霊験など信じていない自分のいることが、神さまの気分を損ねて効果を削ぐ気もした。

 大人たちが帰ってしまうと、居間には健太郎と父の二人になった。自室に引っ込むタイミングを逸したこともあるが、健太郎は父が自分と話をしたがっているような気がした。その父はとくに何を話題にするわけでもなく、学校のことなどをとりとめもなくたずねている。話が途切れると温くなった茶を口に運び、部屋の柱時計に目をやった。

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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