連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第八章

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8-1

 長い時間、男たちは難しい顔をして黙り込んでいた。家のなかはひっそりと静まり返っている。庭の動物たちまでが息を潜めているみたいだった。卓を囲んでいるのは、仁多さん、岩男さん、源さん、健太郎の父という山参りのメンバーである。健太郎も父の横に坐っている。大人たちの談義にあって気後れを感じないのは、やはり一緒に山に登ったせいかもしれない。客の前には揃いの湯呑が置いてあり、ときどき母親が茶を差し替えにきた。
「何年ぶりになるかの」口を開いたのは岩男さんだった。
「戦争が終わってからは、はじめてやないかの」仁多さんがおぼつかなげにつないだ。
「わしらが結婚したころに一度出たことがある」健太郎の父が言った。「それ以来やないかの」
「するとかれこれ十五年になるか」
「こんなご時世に雨乞いを出すなど、町の連中が聞いたらどう思うやろうな」岩男さんが憂鬱そうな顔で言った。
「どう思われても、雨には降ってもらわねばな」仁多さんが控えめに返した。「こう日照りがつづいては、作物がみんないけんなってしまう」
 男たちは再び押し黙った。岩男さんが町の人たちを嫌うのには理由があった。彼のところは代々が農家で、祖父も父も隣町に下肥を汲みに行っていた。汲ませてもらう家には、大根やネギなどの野菜を置いてくる。肥樽を載せたリヤカーを牛に牽かせて、朝早くに家を出る父親の姿をおぼえているという。週に何度も出かけていた。町の中学に通うようになってから、肥引きの子ということでからかわれたことがあったらしい。そんな体験から、いまでも岩男さんは町の人たちを快く思っていない。父親たちの世代までは、村に暮らす者の多くが似たような体験をもっていた。
 静まり返った部屋のなかで、源さんが大きな屁をした。
「こら」岩男さんが顔の前を大仰に手で払いながら、「外でせんか」と言った。
「そんなことしよったら、屁が引っ込んでしまう」源さんはとぼけたように言った。
「そんならする前に、するぞと言え」
 おかげで場の雰囲気が少し和んだ。
「とにかく若い衆を集めて、お水をいただいてくる者を決めねばならんな」と仁多さんが言った。
「雨乞い場の作り方やら、もう誰も知らんのやないかの」岩男さんが心もとなげにつなぐと、
「そう言えば、わしも子どものころに見たきりだわ」仁多さんが引き取った。「川原に竹を立てて、しめ縄を張りよったのはおぼえとるが」
「うちのおやじさんに聞いてみよう」健太郎の父が言った。「お水をいただいてきた若い衆らにも、雨乞いのやり方を伝授せねばならん」

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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