連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第七章

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 しばらく歩くうちに、何かに見られている感じが強くなった。山が、空が自分を見ている。健太郎は眼差しの主を探すように空を見上げた。雲一つない空に底があるような気がする。空の底から光が降り注いでいる。あそこに何かいるのか? それとも山のどこかに……木々がまばらに生えた遠い稜線が鋭く切り立って、見つめていると目が痛くなってくる。光が山全体をきらめかせているのだ。
「おーい、おーい」
 声が聞こえた。空耳だ。武雄があんな話をしたせいだ。つぎに声が聞こえたら怒鳴り返してやる。それとも大声で笑い飛ばしてやろうか。
「おーい、おーい」
 こんなところは早く通り抜けてしまおう、と健太郎は思った。石、石、石……どうしてこんなに石ころだらけなのだろう。
「おーい、おーい」
 彼は空を見上げた。遠い山の稜線に目を凝らした。山が呼んでいる。光と風が呼んでいる。空の底から誰かが呼んでいる。吉右衛門爺さんが呼んでいる。何かにとらわれようとしているのかもしれない。
 声は執拗につづいている。答えてはならない。だが自分を呼ぶ声に、健太郎は不思議と親密なものを感じた。何か大きなものに抱かれている気がする。身体のなかに風が入ってくる。光を孕んだ風になった気がした。風は光をまとって望むところへ吹いていく。
 立ち止まり、あたりを見まわした。一人になっていた。他の三人はどこへ行ったのだろう。いつのまにか影も形もない。なだらかな稜線が前にも後ろにもつづいているばかりだった。どこではぐれてしまったのだろう。あの稜線が左右に分かれたところだろうか。
 声を発しようとして思いとどまった。返事をすることになる。呼び声に答えることになる。すでに罠に落ちた気分で健太郎は思った。まんまと引き寄せられてしまった。吉右衛門爺さんの呪文にかかったのだ。だが気持ちは不思議と落ち着いていた。きっと抜け出してみせる。簡単なことだ。とりあえず稜線が分かれたところまで引き返す。それで間に合わなければ、新吾の次兄の家まで戻ればいい。

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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