連載書き下ろし小説
なお、この星の上に
写真:川上信也
プロデュース・ディレクション:東裕治
昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?
第七章
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7-4
「たぶん爺さんやろう。呪文を使うたのかもしれん。そのへんはようわからん。声がするほうを見ると、とても人が登れんような崖の上やったりする。若い者らが漁をつづけようとすると、またおーい、おーいと声がする。今度は違うほうからじゃ。何度も呼ばれて、あんまり呼ばれるものやけん、さすがに気味が悪うなって、みんな逃げるようにして山を出て行ったそうな」
「不思議な話だの」そう言いながら、豊はなお半信半疑の様子だった。
「爺さんは山を守っておったのよ」武雄はどこか得意げだった。「爺さんがおるおかげで、悪い猟師らが入らず、山は荒らされずにすんだ」
「なるほどの」豊は軽く折り合いをつけるように言った。
武雄は亡くなった父親を、吉右衛門爺さんに重ねているのかもしれない、と健太郎は思った。死んだ父親は吉右衛門爺さんのような神とも人ともつかないものとして、いまも山の奥で生きている。そのことを自分の目で確かめたいと思っているのかもしれない。
「そろそろ行くか」新吾が懐中時計を見て言った。
稜線が広くなっていた。右と左に分かれた片方が、北の尾根に向かってせり上がっている。しばらく縦走して尾根を下る。昼にはまだ少し早かったが、このあたりで弁当を食べることにした。夕方には新吾の次兄のところへ戻り、もう一泊させてもらうことになっている。
健太郎はリュックから、父親に借りてきた双眼鏡を取り出した。明るい円のなかに深い森が広がっている。いくら目を凝らしても一筋の煙も上がっているわけではなく、人が住んでいる形跡はなかった。
「なんか見えるか」武雄がたずねた。
「森が見える」
「他には」
健太郎は黙って双眼鏡を渡した。武雄はそれを扱いにくそうに目にあてた。やはり何も見えなかったらしい。双眼鏡を新吾に渡し、最後に豊が覗いた。
「なんも見えんな」と豊は言った。
握り飯を食べ終えると早々に出発した。帰りのことを考えれば、探索にあてることのできるのは、せいぜいあと三、四時間といったところだ。いくら日が長い季節とはいえ、午後三時には山を下りはじめなければならない。
足元は白っぽい石がごろごろして歩きにくかった。一つ一つの石が、大きいものも小さなものも明るい日差しに照らされている。光が跳ねまわっているようだった。白い石の上で、乾いた土の上で、木々の葉の上で、遠い山の稜線の上で。曖昧なものは何もない。すべてがはっきりしている。物の形は明確で、奇妙なところはどこにもない。山は山で、石は石だ。
片山恭一
愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。
川上信也
1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。
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