連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第七章

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 ゆるやかに傾斜した地面を、シダや熊笹などの下草が覆っていた。山仕事をする人たちが使っていたものだろうか。古い道らしく踏み跡はほとんど消えかかっている。まわりはブナやクヌギなどの原生林だった。このあたりの森は昔から、山の神さまの領分とされており人の手が入っていない。根の浅い杉や檜の植林地では、大雨が降れば地滑りなどが起こりやすい。山をよく知る土地の人たちは神を祀り、神域を設けることで山を守ってきたのだった。
 健太郎は吉右衛門爺さんのことを考えていた。この山のどこかにいるのだろうか。そもそも実在の人物なのだろうか。すでに死んでいる爺さんの遺体は、いまも腐らずに囲炉裏端にじっと坐っている、といった話はさすがに信じがたい。百歳を超えているとも言われる吉右衛門爺さんは、生きているにしても死んでいるにしても、すでに神に近い存在なのかもしれない。人とも神ともつかないものとして、山深い聖なる場所に棲んでいる。そして二つの領域を自在に行き来する。人の暮らしと神の領域を。ときに人間として、ときに神として……。
「茸採りに来とった婆さんがクマに喰われたのは、このへんやなかったかの」場違いな話を持ち出したのは豊かだった。「あのとき婆さんは、クマにあらかた食べられてしもうた」
「いつの話か」武雄が忌々しげに言った。「いまはもうクマはおらん」
「おらんのか」
「おっても、ここらには出てこん」
「なせかの」
「なせでもじゃ」
 豊は釈然としない顔で黙り込んだ。四人は黙って歩きつづけた。森が息をしている。山が息をしている。人でも神でもないものが息づいている。そのなかを自分たちは歩きつづけている。神の領域に足を踏み入れようとしているのかもしれない、と健太郎は思った。自分たちは吉右衛門爺さんの領分を侵そうとしているのではないだろうか。
 頭上を覆う厚い木々の葉によって、日光はほとんど遮られている。暗い森のなかを歩くのは苦手だった。何かに見られている気がする。心のなかまで覗き込もとしている。森が、山が、人とも神ともつかない存在が……。
「クマは襲った婆さんを安全な場所に運んでから食べたそうだ」豊は呑気な口調で先ほどの話を蒸し返した。「一度人間の味をおぼえると、クマは繰り返し人間を襲うようになる。そうして人喰いクマになるんじゃ」
「やめんか」武雄が制した。「四人も一緒におる人間を、クマが襲うわけはない」
「そうかの」
「クマは見かけよりも臆病な動物らしいぞ」新吾が武雄の肩を持つように言った。
「わしらが小学校のとき、測量のために山に入った技師さんらがクマに襲われたことがあったな」

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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