連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第六章

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 勾配のきつい山道を登りきると地形が開けた。あたりはなだらかな高台になっている。畑で里芋が葉を茂らせていた。茎の長さは四人の背丈よりも高く、折り重なるようにして繁る葉は、一枚が豊の持ち歩いている蝙蝠傘ほどもあった。畑の土は乾いている。ここも長く雨が降っていたいのだ、と健太郎は思った。
 里芋畑を抜けたところに、見るからに貧相な家が一軒建っていた。瓦のなくなった屋根は大きく波打つように歪み、折れた雨樋の先が地面に垂れている。土壁はところどころ剥がれ落ちて、下の竹組みまで見えているところもある。玄関の柱が傾いているためか、表戸は完全に閉まりきらず、端のほうは数十センチほど開いたままになっている。
 少し離れたところにも、何軒か同じような農家が点在していた。どの家も傷みが激しく、なかには柱が屋根の重みを支えきれずに、軒が地面のあたりまで下がっているものもある。こんなところに泊まるのは気が進まない、と健太郎は思った。そばにいる豊も浮かない顔をしている。
「猪がおるぞ」武雄が言った。
 裏手の竹の囲いのなかに子どもの猪がいた。囲いの広さは三メートル四方ほどで、隅には手造りの木の小屋が置いてある。
「新吾の兄ちゃんが飼いよるのか」武雄はいかにも興味ありげだった。「罠を仕掛けて捕まえるのかの」
「あとで訊いてみたらええ」と新吾は言った。
「いまは留守か」豊がたずねた。
「そうみたいだの」
 新吾が家のなかに入っていたので、三人もあとにつづいて入った。さすがに人が住んでいるだけあって、外見よりも家のなかは整っていた。玄関から上がると、まず三畳ほどの板の間があり、その奥が八畳の座敷になっている。他にも幾つか部屋がありそうだった。手近なところに、誰からともなく腰を下ろした。武雄はごろりと横になった。さらに大の字になって伸びをした。
 健太郎も奥の座敷の襖の陰に身体を横たえた。長いあいだ歩き通しで疲れていた。目を閉じると、隣の部屋から三人の話し声が聞こえた。どうやら好きな食べ物を言い合っているらしい。コロッケ、カレーライス、チャンポン、チキンライス……。いまは話に加わるのも億劫だった。豊がデパートの食堂で食べるざるそばの話をしている。薬味にうずらの卵が付いているのが美味いのだ、などと言っている。そんな声を遠くに聞きながら、自分は無意識に三人と距離を置きたがっているのかもしれない、と健太郎は思った。

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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