連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第六章

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6-3

 多賀清美のことを考えていた。いまこの場に清美といたいと思った。他の三人とは透明な皮膜によって切り離された世界に、二人だけでいたかった。彼女のことを思うと、心に痛みを感じた。ときどきそんなこと起こる。この痛みはどこからやって来るのだろう。山や森の緑に、空の青に、水の輝きに身体が染まるとき、なんの脈絡もなしに清美のことを思い出す。そして心のなかに痛みを感じる。
 あのときからかもしれない、と健太郎は思った。春の野で清美に見つめられ、正体の知れない生き物になった。傍らに横たわる清美を見たとき、自分のなかに原始の森があることに気がついた。暗い森のなかに棲んでいる生き物。人間なのか動物なのかわからない。善でも悪でもない、やさしさと凶暴さが入り混じっている。彼はみずからが欲望する一個の生命であることを感じた。
 ふと我に返るようにしてあたりを見まわした。向こう岸の山の潅木が裏葉を見せて揺れていた。肌に触れる風を全身で受け止めた。

 昼は各自が持ってきたものを分け合って食べた。豊は遠足のときのような弁当を作ってもらっていた。健太郎は自分で握り飯を用意した。新吾はアンパンとジャムパンで、武雄だけが手ぶらだった。
「なんも持ってくるものがなかったんか」新吾が痛ましげにたずねた。
「猟師は昼飯を喰わんものだ」武雄は涼しい顔で答えた。
「吉右衛門爺さんが言うたか」
「常識じゃ」
「そんな常識は聞いたことがないの」
「猟師は一日二食、朝と夕にきまっとる」武雄は説明した。「獲物を追いかけて、山のなかを動きまわらねばならん。腹がいっぱいでは疲れてしまうし、勘も鈍る」
「本格的だの」新吾は感心したのか呆れたのかわからないような言い方をした。
「しかし腹が減るのは辛いの」豊が言葉を向けると、
「そのときゃあ自分で鳥でも魚でも捕まえる」武雄は持ってきたゴム管を空のまま近くの木立に向かって撃つ真似をした。
 結局、武雄は三人から少しずつ昼飯を分けてもらって食べた。食べ終わると各自が自分の持ち物を点検した。とくに申し合わせてはいなかったので、肥後守ひごのかみやマッチといった必携品の他に、新吾は懐中時計を持ってきていた。健太郎は父親の双眼鏡を借りることができた。豊はなぜか蝙蝠こうもり傘を杖がわりに持ち歩いている。いちばん重装備の武雄は大きななたを携帯していた。これがあれば野宿をするときに、竹や細い木を切り倒すことができるということらしい。他にも丈夫そうなビニール袋やロープなどがリュックには入っている。どれも山で必要と本人が判断したものだった。

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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