連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第六章

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 七月の下旬になっても、渓流の水は鮮烈なまでに冷たかった。冷気は血管に流れ込み、足から下腹を駆け上り内臓へと達した。肺と心臓を青く染め上げ、肩から両手の指先へ、さらに首から頭の隅々を巡り、気持ちを凛とさせた。身体の輪郭を細かいところまで際立たせた。自分がいま一つの肉体とともにあることを、健太郎はありありと感じた。
 水のなかで小さな魚たちが光っていた。夏の光は川底の藻を生育させる。それを食べて魚たちも成長する。向こう岸から川にせり出した木が落とす影のなかには、ふなやナマズのような大きな魚もいるはずだ。源さんのことを考えた。この季節は、源さんにとって鮎漁の時期だ。彼が使っているヤスは、棒の先に鉄でできた三本槍のついたもので、すべて本人の手作りだった。この特製のヤスを持って川に入り、素潜りで鮎を突き刺して仕留める。山の子どもたちにとっても、夏のヤス漁は川遊びの定番だったが、敏捷な鮎を捕まえるのは至難の業だった。
 吉右衛門爺さんなどという、生きているのかどうかもわからない人物を追いかけまわすよりも、武雄は源さんの弟子になればいいのに、と健太郎は思った。そして素潜りの鮎漁でもなんでも教えてもらえばいい。源さんにとって仕事は遊びのようなものだ。少なくとも健太郎にはそう見える。もちろん川で魚を獲るだけでは暮らしが成り立たない。先祖代々の田畑の仕事もあり、父親が寝たきりになったあとは、村の人たちの助けを借りながら一人で切り盛りしている。源さんには源さんの苦労があるはずだった。しかし本人はあいかわらず飄々として、「わしは腹いっぱい喰うて、気持ちよう糞をするために働くのよ」などと言っている。
 蝉が鳴いていた。最初に蝉の声が耳についたとき、健太郎は「静かだ」と感じた。つぎの瞬間、何百という蝉の鳴き声が重なり合い、雪崩のように押し寄せてきた。その鳴き声に呑み込まれそうになったとき、不意に足元から水音が立ち上ってきた。額の汗を拭った。手首が汗で光っている。身体が焼け焦げている気がした。蝉の鳴き声と川の音に混じって、三人の声が聞こえた。いま自分は彼らと切り離されている。一人だけ別の世界にいる。同じ景色のなかで、透明な皮膜によって隔てられている。
 水音が耳にこもった。水は白いしぶきを立てながら流れている。健太郎は足元に転がっている石を手で掴んだ。石は焼けていた。彼は挑むように石を握り締めた。そのまま流れに手を入れた。手の甲に水の力を感じた。引き上げると、一瞬、石は魚に姿を変えた。光の塊のようなものが手のなかで跳ねた。日が溢れ出した。水が光った。湿った石と水の匂いがした。健太郎は日を浴びて川原に立ち、川に入っている三人を見ていた。

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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