連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第六章

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6-1

 木立を吹いてくる風に運ばれて水の匂いがした。川が近いのだろう。太陽の光を遮る頭上の木々の葉が、高くなった夏の日差しを受けて輝いている。
「おまえがいつまでも寝とるけん、もう日があんなに高うなってしもうたが」大きなリュックを背負った武雄が、少し遅れてあとを歩いている豊に向かって言った。
「寝とったんやない」豊は不服そうに言い返した。「勉強しとったんじゃ」
「なんで大事な日に勉強するか」
「勉強を済ませな、遊びに行っちゃならんことになっとる」
「誰がきめた」
「家のものじゃ」
「おまえも中学三年生だろが」武雄は苛立たしげに言った。「来年は就職する者もおるのに、まだ自分のことを自分できめられんのか」
「仕方がない、家のきまりやけん」豊はいまにも泣き出しそうな顔になっている。
「破ればええ」
「簡単にはいかん」悲壮な声で言って口を閉ざした。
 武雄が豊をなじったのは、出発の時間が遅れたことで、吉右衛門爺さん探索の計画が出だしから狂ってしまったからである。武雄にとっては夏休みの日課などよりも、吉右衛門爺さんの正体を突き止めることのほうがはるかに重要なのだ。
 手順をきめたのも武雄だった。今回は、まだ入ったことのないところまで行くことになっている。一日で探索できる範囲は知れているが、幸い新吾の二番目の兄が、山間の耕地を譲り受けて住んでいる家があるというので、夜はそこに泊めてもらうことになっている。健太郎も家の者の許しを得るのには苦労した。まして豊のところは大変だっただろう。それでも仲間はずれになるのは嫌だとみえて、日課を済ませてから出てきたのだった。
 四人が歩いていく道は、山肌を切り崩して最近造られたものだった。舗装はされておらず、乾いた赤レンガ色の土が剥き出しになっている。途中で何箇所か、削られた崖が崩落して土砂が道を覆っていた。ほとんど車も通らないためか、そのまま修復もされずに放置されている。
「川に出たら水を補給していこう」健太郎が言うと、
「ついでに水を浴びていこう」新吾が付け加えた。
「そんなことしよったら、ますます遅うなるが」武雄がとがめるように言った。
 ほどなく四人は川原に立った。川が光っている。流れの速い岩場では、水は踊るように白しぶきを上げる。いますぐにでもあのなかへ入っていきたい、と健太郎は思った。他の三人も同じ思いなのだろう。時間の無駄だからと川遊びに異を唱えていた武雄も、冷たい水の魅力には勝てないらしく、我先にズボンの裾を折り返して川へ入っていった。

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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