連載書き下ろし小説
なお、この星の上に
写真:川上信也
プロデュース・ディレクション:東裕治
昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?
第五章
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5-9
ところが内藤が引っ越してきて、清美は彼に気があるのではないかとか、将来は夫婦になるかもしれないといった、無責任な話が耳に入るようになると様子が変わってきた。新吾などが気安く口にする憶測を、穏やかならぬ気持ちで聞いている。近ごろは清美の名前が出るだけで、心の奥が波立ってざわざわしはじめる。
幸い豊が一緒にいて、わかりやすい反応をしてくれるので、彼自身の内面は隠すことができた。他人にたいしてだけでなく、自分にたいしても。だが、いまはそういうわけにはいかない。自分と向かい合い、自分の心を相手にしなければならない。そんな夜が、健太郎は苦手だった。
厄介事から逃げるようにして豊のことを考えはじめた。やはり内藤への対抗意識があるのだろうか。それが理由で、今日の招待を断ったというのは考え過ぎかもしれないが、豊が内藤を苦手にしていることは確かだった。露骨に嫌っているというよりは、なんとなく疎ましがっている。内藤と比べられることを避けているのかもしれない。二人のあいだに清美という人間を置いてみれば、その心情はわからないでもない。では、自分と内藤とのあいだに清美を置けばどうだろう?
これまでは見向きもしなかったものを、誰かが欲しがっていると知った途端に自分も欲しくなる。そういうことはあるものだ。内藤は期せずして清美に新しい光を当てたのかもしれない。この狭い村の外から、別の視線を持ち込んだ。異質な光や視線に触発されて、幼いころから清美という少女を見てきた者たちが動揺している。豊だけでない。吉右衛門爺さんに弟子入りして猟師になるつもりでいる武雄はともかく、新吾だって感じているはずだ。健太郎も感じていた。この気持ちは一過性のものなのだろうか。いずれは過ぎて、消えてしまうのだろうか。
遠足の日のことを思い出した。草の上に寝転んで目を閉じていたとき、ふと何か気配を感じて目をあけた。自分を見つめている眼差しと出会った。その眼差しは、彼がよく知っているものでありながら未知のものだった。いった何が起こったのだろう。何が起ころうとしていたのだろう。
これまで耳にしたこともない未知の音楽と出会ったようなものだった。出会いは新鮮な驚きであるとともに懐かしくもあった。長いあいだ忘れていた友だちと、久しぶりに顔を合わせたような、そんな驚きでもあった。
とても小さな音で、静かに流れていたのかもしれない。一時も絶えることなく流れつづけていた。いつも聞こえていたはずなのに気がつかなかった。それが何かのきっかけで、突然聞こえはじめる。あのときがそうだった。春の野で、不思議な眼差しと出会ったとき。
以来、ずっと聞こえつづけている。耳について離れない。どうやっても閉め出すことができない。その美しい音楽は、遥か彼方の宇宙の果てを流れているようであり、また彼自身のなかを流れているようでもあった。
片山恭一
愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。
川上信也
1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。
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