連載書き下ろし小説
なお、この星の上に
写真:川上信也
プロデュース・ディレクション:東裕治
昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?
第五章
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5-7
さすがに中学校に上がったころからは、体力の差を自覚して手を出すことはなくなったが、口論において持て余すところはあいかわらずだった。小さかったころは、橋の下に捨てられていたのを拾ってきた、などという出まかせを真に受けて泣き出す妹を見て溜飲を下げたものだが、長じて知恵がついてくるとさすがに通用しなくなった。
顔の特徴は健太郎が母親似で、綾子が父親に似ているというのが、親戚のあいだでは定説となっている。しかし性格は、どちらかというと自分は父親に似ており、綾子は母親の性格を受け継いでいる、と健太郎は判断していた。そして顔も違えば性格も違う両親が、自分たち兄妹のように対立することも言い争うこともないのを彼は不思議に思った。
「内藤くんとこへ行ってきたんやろう」兄妹のあいだが険悪になりそうなのを察して、母親が別の話題を持ち出してきた。「どうやったね」
「とくにどうもない」健太郎は面倒くさそうに言った。
「電気洗濯機はあったか」母親にかわって綾子がたずねた。
「カナリアがおった」健太郎は妹を無視して言った。
「へえ、カナリアがね」
「知っとるのか」
「歌があるけんね、カナリアの。けど本物は見たことないわ」
「可愛い鳥じゃよ」
「お昼は何をご馳走になったん」と母親らしい質問をした。
「フレンチ・トースト」
「はあ」
「知っとるか」
「そりゃあ知っとるけど」母親はなぜかおかしそうに、「ハイカラなものを出してくれたんやな」と言った。
健太郎はまるで自分が笑われたかのように、「日曜の昼はフレンチ・トーストときまっとる」とぶっきらぼうに言葉を補った。「昭のとうちゃんが留学先で習うてきたらしい」
「留学かね」母親が感心したように言った。
「イギリスとアメリカ」
「うちも外国行きたいわ」と綾子が言った。
「綾子も留学するか」祖父が軽い口調でたずねると、
「したいな」小学生の娘は生真面目に受けた。「先生もいまからの日本人は、どんどん外国へ出ていかないかんて」
「そう簡単なことやないんよ」母親がたしなめるように言った。「いっぱい勉強せんと、外国へは行かれんよ」
「うち、勉強好きやけん」
「そらあええことやな」祖母が言葉を添えた。「おばあちゃんらのころは、女の人はやることがいっぱいあって勉強する暇もなかった。これからは電気洗濯機も来るし、女も勉強する時間ができるやろう」
「先生も同じことを言いよった」
「そうか」
「電気で洗濯したりご飯を炊いたり、いろんなことができるようになったら、自由に使える時間が増える。そうやって生活が便利になって、自由に使える時間の増えていくことが歴史の進歩なんよ」
片山恭一
愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。
川上信也
1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。
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