連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第五章

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5-6

「そりゃあ便利なもんですわ」母親が話している。「水と洗剤を入れてタイマーを合わせたら、あとはもう自分で洗ろうてくれるんですけん」
「和子さんには大助かりやな」祖母は嫁の肩をもつように言った。
 たしかに健太郎から見ても、一家六人の洗濯は大変だった。母親はいつも井戸の傍らで洗濯をしている。木のたらいに井戸の水を汲み入れ、固形石鹸を衣類につけて洗濯板の上でごしごし揉んで汚れを落とす。夏場などは汗だくの仕事だった。洗い上がった洗濯物を竹竿に通して庭に干すと、絞りきれていない水が垂れる。水滴に太陽の光が反射して輝くのを、幼い日にじっと見ていたことをおぼえている。あれは幾つぐらいのときだったろう。
「水はやっぱり井戸から汲まねばならんのだろ」父親がたずねた。
「そうですな。多賀さんのところは、もう水道が来とるから余計に楽ですわ」
「うちも水道が来たら考えないけんかの」
「水道が来んうちに考えてもろうてもええよ」母親が冗談めかして言うと、
「どうするかの」父は生煮えの返事をした。
「はよう洗濯機で洗濯してみたいわ」と綾子が言った。
「馬鹿だの。洗濯機は自分で勝手に洗濯するんじゃよ」健太郎が余計なことを言った。
「知っとるよ、そのくらい」妹はさっそく反論した。「うちが言いよるのは洗濯物を絞る器械のことよ。こんなハンドルまわしてな、ローラーみたいなんで絞るの。兄ちゃんは知らんのか」
「知っとるわ」
「それから女の人に馬鹿と言うのは、男尊女卑じゃよ」
「こりゃ、ものすごい言葉が飛び出しよったの」祖父が面白そうに言った。
「綾子、男尊女卑いうのは、そういうことじゃないよ」父親が真顔で訂正した。
「いや、そういうことじゃよ。女の人に馬鹿と言うのは、男尊女卑じゃ」
「学校の先生が、そう言うたか」祖父がたずねた。
「言うた。男が威張るのは男尊女卑」
「そしたら女が威張るのはなんね」健太郎はいくらかむきになって言い返した。
「そんなこと、うち知らんわ」
 この二人は同じ遺伝子を受け継ぎ、同じ環境のなかで育てられたにもかかわらず、あらゆることで意見が合わなかった。兄が右と言えば妹は左と言い、妹が赤と言ったものを兄は白と言ってみたくなる。口は妹のほうが立つので、以前は癇癪かんしゃくを起こした健太郎が、腕力に訴えて綾子を泣かすこともしばしばだった。

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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