連載書き下ろし小説
なお、この星の上に
写真:川上信也
プロデュース・ディレクション:東裕治
昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?
第四章
4-7
「そういう場所では、誰でも畏れ多いような気持ちになる」と父は言った。「足を踏み入れるのも憚られる。もちろん踏み荒らしたり、小便や糞をしたり、血で不浄に汚すなどはもってのほかだ。怒りに触れたら、どんな祟りを受けるかもしれん。山の神さんはきれいなところを好いておられるのでな」
ひょっとしてここが、その山の神さまの遊び場ではないだろうか。いつのまにか来ていたのだ。時間は永劫のなかをゆっくりと流れている。その時間の澱みのなかで、自分が一つの欲望になったような気がした。あるいは何かを切望する一つの生命に。
感情はどこかへ消え去っていた。欲望だけが走っていく。空腹を感じた。まるで自分のなかに別の何ものかがいるみたいだった。激しい空腹のために下腹が痛くなった。いますぐに何かを口いっぱいに詰め込みたい。生きて動いているものを無性に食べたい。そんな不気味な欲求であり衝動だった。
何かが深々と自分のなかを歩いていくのを感じた。これまでに感じたことのないような強い力だった。使い方を誤れば人をも殺しかねないほどの凶暴な力だ。その力には何か崇高なものがあった。泥や肉汁にまみれていながらも輝いている。
ふと何ものかの気配がした。いまにも姿を見せようとしていたものは引っ込み、かわって身体の内側に沸き立つ新しい力を感じた。
「どうしたん」
目をあけると、傍らから多賀清美が不思議そうに健太郎の顔を覗き込んでいた。
「どうもせん」いくらか邪険な口調で言うと、彼は乱暴に起き上がった。「清美こそ、こんなところで何をしとる」
「別に何もしちゃおらんよ」彼女は素っ気なく答えた。「林のなかを歩いておったら、健太郎が倒れとったんで、どうしたんやろうと気になって様子を見にきた」
「ちょっと昼寝をしとっただけじゃ」
「こんなところでか」
「静かやし、暖こうて気持ちがええ」
「そうか」清美は自分も草の上に腰を下ろすと、その場で仰向けに横たわった。
「やめんか」
「なせか」
すでに目を閉じている。
「人が見たらおかしいと思う」
「なんもおかしいことないよ」
平然とそんなことを言う少女の顔を、健太郎は盗むように見た。唇をゆるやかに合わせて、うっとりした表情を空に開いている。このやけに白い肌をした不思議な生き物はなんだろう。見つめていると吸い込まれそうになる。目を逸らすことはできない。落ち着かない気分を紛らわすようにたずねた。
片山恭一
愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。
川上信也
1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。
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