連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第四章

4-6

 だから年忌ねんきごとの法要や、盆や彼岸の供養を欠かしてはならない、と祖母は日ごろから孫たちに諭していた。生きている者たちの追善廻向ついぜんえこうを受けることによって、死者の霊魂は清められていき、生前の個別性を失いながら、最終的に先祖の霊に集約されていく。これを怠ると、成仏できない魂はさしさわりをもたらす。
 祖母によれば山の神さまも、亡くなった祖先たちの霊魂が寄り集まったものらしい。春には里に降って田の神となり、秋の終わりには田から上がり、山に還って山の神になる。いずれも本体は「みたまさま」と呼ばれる先祖たちの霊魂なのだった。
「ばあちゃんは死んだらどこへ行くんかの」遠い記憶のなかで幼い子がたずねていた。
「ずうっと見守っておるよ」遠い声が答える。「だからなんも心配はいらんよ」
 いま自分のいる場所が定かではなくなっていた。あたりには人の気配がなく、先ほどまで聞こえていた同級生たちの声も遠くなっている。ここはどこだろう、と健太郎は思った。現実の世界のなかに忍び込んだ、もう一つ空間にとらわれている気がした。多くの種類の鳥が鳴いている。人間の知らない言葉で、何事かを言い交わしている。
 鳥たちの声を聞いているうちに時間の観念が薄らいでいく。嗅覚が鋭くなっているのがわかる。雨になるのかもしれない。雨が降り出す前には、こんなふうに嗅覚が鋭敏になることがある。だが、いま自分のなかで起こっているのは、それとは別のことだ。
 風に乗って漂ってくる動物たちの匂い、かすかな腐肉の臭いを嗅ぎ取ることができた。いろんな匂いが混じっている。言葉にできない匂いもある。いい匂いも悪い匂いも一緒になって流れている。遠くからやって来る匂いを誘惑のように感じた。彼を別の場所へ連れていく匂い……。
 森の奥深くに「山の神さまの遊び場」と呼ばれる場所がある。そんな話をしてくれたのは父だった。鬱蒼とした原始の森が開け、箒で掃き清められでもしたような清浄な空間が忽然と現れる。旺盛に繁殖したシダや蔓植物が地面を覆っているなかにあって、そこだけは下草も生えず、枯れ枝一本落ちていない。風は吹いていないはずなのに、落ち葉がゆっくりと渦を巻くように宙に舞っている。木々の梢や周囲の雑草はそよとも揺れていない。

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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