連載書き下ろし小説
なお、この星の上に
写真:川上信也
プロデュース・ディレクション:東裕治
昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?
第四章
4-5
残りの時間、四人は何をするでもなく雑木林のなかを気ままに歩きまわりながら、吉右衛門爺さんを探し出す計画のことなどを話し合った。なにしろ相手は吉右衛門爺さんだ。エラン爺さんのときのようなわけにはいかない。計画的に山のなかを隈なく捜索する必要がある。場合によっては、野宿をすることになるかもしれない。どこまで本気なのかわからない話をしながら、武雄は持ってきたパチンコで、ときどき鳥などを撃ったりしていた。
そのうちに武雄の姿は見えなくなり、やがて新吾や豊とも離れて健太郎は一人になっていた。木立の向こうには草原が見えている。同級生たちの声も聞こえてくる。だから迷ってしまうことはない。暖かい草の上に腰を下ろした。風が吹いて梢の葉を揺らしている。光がはしゃぎまわるように木の間で輝いている。あちこちで鳥が鳴いている。おそらく鳥たちも、光と一緒になってはしゃぎまわっているのだろう。
草の葉をてんとう虫が這っていた。背中は朱色で黒い斑点がある。ゆっくり動いているように見えるが、本当は急いでいるのかもしれない。よく見ると同じ草の上に、もう一匹いた。オスとメスかもしれない。風が木々のあいだを吹き抜け、近くの草が波打った。眠り足りないようなものが降りてきて、健太郎は草の上に仰向けに横になった。若葉のあいだから空が見えた。白い雲がゆっくりと流れている。
目を閉じたまま、長いあいだじっとしていた。暖かい太陽の下に寝転がり、光と風を感じた。静かに息を吸い込み、少しずつ吐いた。鼻孔から入り込んだ光が、肺の奥まで届くように感じられた。さらに血液に溶け込み、全身に行き渡る。心臓を輝かせ、筋肉や骨の一つ一つを輝かせる。いつか自分が死んで、太陽や空気、名のない透明で完全なものの一部になったとき、こんなふうに感じるかもしれない、と健太郎は思った。
森のなかに入って心の落ち着く場所があれば、そこは死んだ人の魂が集まっている場所だという。豊も言うように、このあたりでは合戦によって昔から人がたくさん死んでいる。成仏した魂もあれば、死にきれなかった者の魂もあるだろう。それらが集まって、この静謐な空間をつくり上げているのかもしれない。
信心深い祖母は、亡くなった人はみんな「みたまさま」になるのだと言った。それは「ご先祖さま」とほとんど同じ意味らしい。生前に善いことをしても、また悪事をはたらいても、五十年や百年といった長い年月が経つうちに、生きているあいだのことは読み取れない文字のように見えなくなって、善人の魂も悪人の魂も同じように浄化され、「ご先祖さま」や「みたまさま」と呼ばれる一つの尊い霊体に融け込む。それは多くの先祖たちが一体となった神であり、この神さまが子孫後裔を長く守護してくれるのだった。
片山恭一
愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。
川上信也
1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。
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