連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第四章

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 それに似たことは、健太郎も小学生のころにやったことがある。山椒やクルミの根、ヨモギの葉などをすり潰して川に流す、やはり一種の毒漁だった。漁を指揮したのは年長の中学生だった。魚が痺れて動きが鈍くなったところを網や手掴みで捕ろうというのだが、実際にやってみると、小さな魚が数匹よろよろと水面に浮かび上がってきたくらいで、伝え聞いていたほどに効果はなかった。
 鬱憤うっぷんを晴らすように、誰かが川岸から淵のなかへ大きな石を投じた。他の者たちもそれにならった。みんなで面白がって石を投じつづけるうちに、その衝撃と振動でショック状態に陥ったのか、かなり大きなものまで含めて、何匹もの魚たちが白い腹を見せて浮いてきた。思いがけない釣果に、小さな子どもたちは歓声を上げたものだった。
 健太郎がとくに好んでいるのは、ミミズを使ったイワナ釣りだった。仕掛けは道糸みちいととハリスのあいだに板鉛を巻きつけておもりにしただけの簡単なものだ。ミミズは堆肥置き場に湧いているものを掘り出して使う。毛鉤のほうが手は汚れないし、餌を付ける面倒もいらないが、喰いがいいのは、やはり生餌を使った釣りである。魚を警戒させないように、下流から上流へ遡りながら釣るのがコツだった。
「今年はさっぱり魚が釣れんという話だの」新吾が気がかりな様子で言った。
「なせかの」健太郎は首をかしげた。「春先に雨がつづいて、水の量は多いはずやが」
「兄ちゃんが言うには、よそ者が川を荒らしとるらしい」
「飯場の連中か」健太郎が言うと、
「たぶんそうやろう」新吾は難しい顔で頷いた。
「魚止めの呪文がかかっとるんでねえかの」と武雄が言った。
「呪文を使える人間は、もうおらんという話だが」新吾が言葉を返した。
「吉右衛門爺さんがおる」武雄はきっぱりと答えた。
「なんのためにそんなことをするのかの」健太郎がたずねるともなく言葉を繰り出すと、
「よそ者が川を荒さんようにするためよ」武雄はわかりきったことのように言った。「魚がさっぱり釣れねば、あの人たちも諦めて川から出ていく」
 たしかに吉右衛門爺さんなら、廃れたと言われている魚止めの呪文が使えるのかもしれない。だが問題は、果たして爺さんが実在しているかどうかだった。吉右衛門爺さんのことが話題になるたびに、話はうやむやのまま振り出しに戻ってしまう。どうやら時間を超越して生きているらしい、素性のわからない老人。この山のどこかにいるのだろうか。それとも霧のようにつかみどころのない伝説の存在なのだろうか。いつか真偽を確かめる必要があるだろう、と健太郎は思った。

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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