連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第三章

3-9

 かつて行われていた雨乞いは、この滝を中心として執り行われたという。祖父が子どものころには、村の若者が命懸けで滝の上に登り、滝壺に大きな石を投げ入れるといった荒っぽい雨乞いも行われていたらしい。滝壺には雨を降らす龍が棲んでいる。石を投げ入れるのは龍を怒らせるためだった。怒った龍は雨を降らせると言われている。
 しかし滝を登る途中で何度か事故が起こり、そのために命を落とす者も出たりして、しだいに古来のやり方は廃れていった。とはいえ雨乞いそのものがただちに途絶えたわけではない。健太郎の父が若かったころまでは、いくらか簡略化された様式で行われていたらしい。
 困難な業であることに変わりはなかった。というのも男たちは日暮れまでに、滝の水を一滴もこぼさずに村へ持ち帰らなければならなかったからである。途中でこぼすと効験がなくなると言われていた。一升瓶などに詰めて持ち帰るとしても、これまでたどってきた険しい道のりを思うと、健太郎にはそれがいかに大変だったかが実感された。
 滝の裏側の断崖に、「鬼の穴」と呼ばれる洞窟がある。昔は行者が棲みついて修行を行っていたとも言われ、山参りの男たちはここでみそぎを済ませてから神社へ参ることになっている。習わしに従って、男たちは着ていたものを脱ぎ、褌一つになって滝に入っていった。健太郎も促されて着物を脱いだ。滝の水は身を切るほど冷たかった。骨まで凍ってしまいそうだ。この冷たさが心身の穢を清めてくれるという。男たちは口々に聞いたことのない呪文のようなものを唱えている。源さんだけが「ナムアミダブツ」だった。
 ここには自分が知らない世界がある、と健太郎は思った。山参りのなかで見聞きすることの多くが目新しく、どこか怪しい魅力を湛えている。日ごろ慣れ親しんでいる世界の奥に、もう一つ別の世界があり、そこへは神や信仰を足がかりにしなければ赴くことができない。
 子どものあいだは、学校などで習う表向きの世界がすべてだ。大人になることは、さらに奥にある世界の存在を知ることだ。自分はいま、子どもから大人への境界を越えようとしている。そのことを健太郎は、身を切るような水の冷たさとともに感じていた。
 同時に、一つの疑問にもとらわれた。村の人たちは、エランによる発電という最新の科学技術を受け入れてようとしている。供給される電力によって、暮らしが豊かになることを期待している。同じ者たちが、山参りのような昔からのしきたりを絶やさずに守りつづけているのは、奇妙なことではないだろうか。そんなふうに感じるのは自分だけだろうか。少なくとも父親をはじめ大人たちは、奇妙とも不合理とも思っていないらしい。彼は大人たちに軽い不信感をおぼえるようだった。
 権現滝で村の各家に配るための水を汲むと、男たちは着物を身につけ一路山頂の神社へと向かう。滝から山頂までは三十分足らずだった。やしろは山の神のほこらをひとまわり大きくした程度で、台風でも来れば吹き飛ばされてしまいそうに見えた。社のまわりには、小さな鳥居によって結界が張られ、さらに正面を二体の狛犬こまいぬが守っている。社殿の垂木には龍の絵柄の彫刻がほどこしてある。

9/10

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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