連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

エピローグ

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epi-1

 久しぶりの帰郷には通夜か葬式の気分が伴った。故郷といっても、帰る家もなければ存命の者もいない。十年ほど前に父が亡くなったあと、一人になった母を呼び寄せて夫婦で面倒をみていた。その母も数年前に施設で亡くなっている。
 報せは四十九日を過ぎてから届いた。そのとき豊とは電話で少し話をした。いずれ墓参りに行くつもりだと告げて半年が経つ。仕事に手が塞がっていたわけではない。長年勤めた大学を六十五歳で定年となり、さらに請われて五年勤めた。七十になって、さすがに潮時と教職を退いた。以後は、専門と趣味の本を気の向くままに読み漁りながら、小さな研究グループが出している雑誌に短い論文を書いたりしている。
 年に一度は夫婦で海外へ行く。還暦を迎えたときに、社会主義経済を専門に研究してきた者として、旧社会主義国の現状をひととおり見ておきたいと思い立った。十日前後の旅行で数ヵ国ずつまわり、最後に残っていたチトーの国へも今年の三月に出かけた。帰国すると、懸案の仕事が片付いたような気持ちになった。安堵と虚脱ともつかない軽い放心状態のなかで、亡くなった友の墓参りが済んでいないことに思い至った。

 最寄りの駅まで豊が車で迎えに来てくれた。助手席から降りてきた武雄と三人、その場で再会の挨拶を交わした。健太郎が後部座席に乗り込むと、車は動きだした。
「急なことやったのか」亡くなるまでの経緯に話を向けた。
 事情に詳しい豊が、車を運転しながら説明した。予後が悪いことで知られる癌が見つかったときには、すでに末期で複数の転移があった。手術をする時期は過ぎていた。抗癌剤治療を勧められ、受けなければ余命六ヵ月と言われた。治療をはじめると手足に痺れや痛みが出た。思った以上に苦しい治療なので、最初の一クールで薬はやめて、以後は対症療法だけにしてもらった。結果的に余命宣告を受けてから一年ほど生き、最後はそれほど苦しまずに亡くなったという。
「若くもないのに進行が早くてな。まあ、それだけ肉体的に若かったのやろう。抗癌剤がきついとは言っていたが、辛そうな顔は見せんやった」
「ちっとも知らんかった」応じる声が虚ろになる。
「知らせようとも思うたが、遠いとこから来てもろうたところでなあ」そう言って豊は言葉を濁した。
 窓の外の景色は、すっかり馴染みのないものになっている。山が大きく削られ立派な道路が造られていた。沿道には何軒かの蕎麦屋のほか、小洒落たイタリアンやベイカリーなども見えた。このあたりの美しい自然と里山のことがテレビなどで取り上げられ、最近は県外からも多くの観光客が訪れるという。

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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