連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第二章

2-10

 いろいろなものが日中よりも細やかに、美しく見える。そんな月夜のことだった。庭のほうで小さな物音がしたので、祖母は起き出して外に出てみた。一人の若い兵隊が井戸の水を飲んでいた。よほど咽喉が渇いているのか、柄杓で何杯も飲んでいる。祖母もよく知っている村の若者だったので、ためらわずに声をかけた。
「休みをもろうて、帰ってきたのか」
 兵士は柄杓から顔を上げて振り向くと、穏やかな表情でじっと祖母のほうを見ていた。手に持った縦長の柄杓からは、飲みかけの水が雫となってこぼれている。月の光が水滴に反射して光っていた。若者は闇夜を背景にしてくっきりと立っている。やがて柄杓を置くと、井戸に向かって敬礼をした。それから祖母のほうへ向き直り、かすかに微笑むようだった。名前を呼ぼうとするのに、どうしても声が出ない。若い兵士は祖母にも丁寧に敬礼をした。それから踵でまわれ右をすると、暗い夜のなかへゆっくりと歩み去っていった。実家に戦死の通知が届いたのは、数日後のことだった。
「不思議なことやが、実際にあったことなんよ」祖母は孫たちに向かって、夢の名残りをたどるように言った。「月が明るい夜には気をつけんとね。どんなことでも起こる夜が、たまにあるけんね」
 健太郎が小学校から帰ると、祖母はときどき一人でラジオを聞いていることがあった。戦争が終わって十年以上経っているにもかかわらず、いまだに帰らなかったり、行方不明になったりしている人がいるらしい。そんな人たちの家族や親戚、友人に少しでも情報を提供するために、きまった時間に放送されている番組だった。祖母の知り合いにも、戦争に行ったまま帰ってこない人がいるのかもしれない、と健太郎は思った。訊いてみようと思いながら、なんとなく言い出しにくい雰囲気があった。
「どんな人でも神さまのお使いと思わねばならんよ」祖母は口癖のように言った。「神さまが遣わされたに違いない。神さまや仏さまは、どこか遠いところにおられるのやのうて、わたしらは人を通じて神さまや仏さまに会いよる。見知らぬ人が自分を頼って来たときには、神さまや仏さまが来てくださった思うて、お世話してあげねばならんよ」
 祖母が子どものころには、無籍無宿のまま漂泊生活をしている者たちが大勢いたという。彼らは春から秋にかけて、棕櫚箒や箕などの竹細工製品を携えて定期的に村へやって来た。夏場には、ナマズやギギなどの川魚や、ドロカメやスッポンなどを売りにくる。海から遠く離れた山深い地域では、川魚は貴重なたんぱく源だった。独特の漁法をもっているらしく、漁に使う筌、簗、魚籠などの道具は、すべて自分たちで作っていた。

10/11

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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