連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第十六章

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16-8

 少年は同じところへ一心に目を向けている。その姿が蓬髪ほうはつにみすぼらしい着物を身にまとった孤児のようにも見えてくる。突然、彼は駆け出した。健太郎のほうは不意を衝かれる恰好になった。
「おい、待て」
 慌ててあとを追うと、すでに十メートルほど先に行っている相手は「早く来い」と言いたげに振り向いた。顔は逆光のせいで、暗い影をつくりながら一瞬笑っているように見えた。何かを懸命に追いかけている。健太郎もまた追いかけた。何も考えずに、ただ足だけを動かしつづけた。アツシは全力疾走で前方の丘を登っていく。その後ろ姿は意外なほど幼かった。走るほどに時間を遡って幼くなっていく気がする。
 いくら速く走ろうとしても追いつけつけない。すでに息は上がりかけている。
「どこまで行く」喘ぐようにして呼びかけた。
 相手は答えない。今度は振り向きもしない。
「おい、アツシ」
 呼び止めようとして声をかけたとき、前を行くのは一匹の犬だった。黒褐色の毛に覆われた逞しい野犬だった。黒い弾丸……間違いない。あのとき父を助けようとして健太郎が撃った犬だった。撃ったつもりが撃たれていた。
 あいつは誰なのか。青白く光る草原を無心に駆けている。風に乗って駆けている。駆けているのは健太郎だった。滑空するように駆けている。日差しが弾ける。草花が匂い立つ。空が草原にばらまかれている。ふと横を見ると、野犬も一緒に駆けている。
「アツシ、おまえだな」
 伴走しているものは答えない。答えるまでもない。
「わしらは一つのものだ」
 そう言う彼も、また一匹の野犬だった。鼻が鋭敏になっている。いま追っているのは光の匂いだ。光に匂いがあるのか? あるとも。虹に色があるように。
 二匹は一陣の風のように草原を駆けていった。二色の音のように戯れながら走りつづけた。草原は鈍色に輝いている。そのなかを一条の輝き流れる糸が走っていく。どこへ向かっているのかわからない。わかっているのは、ただ駆けつづけなければならないということだ。足は休みなく地面を蹴っていく。途切れることのない音楽のように。爪先で音符を刻んでいく。草原に耳には聞こえないメロディを残して。
「どこまでも一緒だ。一緒にいこう」
 長いあいだ待ちつづけ、探し求めていたものと出会えた気がした。彼はいまはじめて自分に触れていると感じた。祖父や父から流れ下ってきた自分ではなく、自分が直に自分に触れている。この感触は、けっして一人では届かなかったものだ。ともに駆けるものがいて、はじめて生まれている感覚だった。走りつづけなくてはならない。立ち止まってはならない。立ち止まれば、一つのものは二つに分かたれてしまう。一つのものであるためには駆けつづけなくてはならない。光や風とともに、大地と空と溶け合って進みつづけなくてはならない。

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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