連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第十六章

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16-7

「撃て」父が叫んだ。
 銃声が山の空気をつんざいた。何が起こったのかわからなかった。身体のなかを風が吹き抜けていく気がした。その風が火薬の匂いも、血の匂いも吹き払ってくれる。清浄な空気は重力さえも吹き払ってしまったらしい。彼の身体は風に運ばれる羽根のように舞い上がった。

 尾根にいた。何ものかにつまみ上げられ、無造作に置かれた感じだった。眼下に谷川が流れている。川の水は秋の日差しを浴びてきらきら光っている。反対側に目をやると、ゆるやかに下った谷が登りにかかり、そこに青白い草原が広がっているのが見えた。どうやら芒の野原らしい。風が草原の上を走ると、芒は青白く揺れて波立つようになる。
 彼は谷を下り、青白い芒の丘を登りはじめた。頂付近に大きな木が一本生えていた。近づいてみると樹齢を重ねた楠だった。幹は根元のところが真っ黒に焦げて大きな洞のようになり、力士の腕を想わせる隆々とした枝には、古い縄や鼻緒の切れたわらじなどが吊るしてある。いつか父が話した「天狗の腰掛け」に似ている。だが時代が違う。あれは明治か大正の話だ。きっと別の木だろう。それとも木は時空を超えてあちこちに現れるのだろうか。
 不意に風が止んだ。海が干上がるようにして世界から音が消えた。太陽が急に明るさを増した気がした。自分が誰だったのか、にわかに思い出せなくなりそうだった。どこからやって来て、どこへ行くつもりだったのか。祖父から聞いた神隠しの話を思い出した。消えた子どもたちは、いずれ見つかることが多かったという。遠方の町や村を歩いていたり、目も眩むような高い木の枝に坐っていたりした。何年も消息を絶っていた子が、成長してひょっこり戻ってくることもあった。
 誰もが捨て子みたいなものではないか、と健太郎は思った。捨てられて、たまたまここに置かれているだけだ。
 どこからともなく風が起こり、冷たい空気が草原を走った。それが合図ででもあったように、楠の後ろからアツシが現れた。かくれんぼで鬼に見つけられた子どもが、しぶしぶ出てくるような現れ方だった。
 少年は所在なさそうに立っている。ひとりきりの様子で、何かに耳を澄ませているようでもあり、ただぼんやり突っ立っているふうにも見える。ふと顔を上げて空を見た。釣られて目をやると、雷の音だろうか、遥かに高いところで空が鳴っている気がした。音はゆっくりと地上に降りてきて、草原の向こうのざわめきにかたちを変えた。目には見えない多くの者が歩いていくようだった。いつの間にか風は止まっている。青白く光る無風の草原に、アツシはじっと目をやっていた。その眼差しにわずかな好奇が動く気配がして、
「なんかおるのか」と健太郎はたずねた。

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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