連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第十五章

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 得心がいったわけではないが、たずねても納得の得られる答えは返ってきそうにない。ひとまず呑み込んで頷いた。すると父はいくらか困惑した口ぶりで、
「戦争が恐ろしいのは、なんも感じずに人を殺せることかもしれん」と言った。「戦争では人を殺すことが自然になる。ええも悪いもない。悪いことにはためらいが生まれる。悪いことを悪いと知ってすることはなかなかできん。戦争では人を殺すことを悪いとは思わんようになる。ええこととや立派なこととは言わんまでも普通のことになる。人はなんにでも慣れるものでな。慣れてはならんことにも慣れる。慣れるとなんも感じんようになる。そこが戦争の恐ろしいところだの」
 淡々とした口ぶりのなかに張り詰めた気配が伝わってくる。その口ぶりを崩せば恐怖や混乱が吹き出してくる。凄惨な現場が立ち現れる。父にとって戦争の恐怖は、もはや自分の一部になっているのかもしれない、と健太郎は思った。
「戦争では誰もが無神経になる」言葉を選ぶようにして父はつづけた。「鉛のように無神経にならねば、戦場では生きていけんもんだ。もう二度と、ああいうところには行きとうない。ああいうふうにはなりとうないと思う。だが、あっけなく人はそうなってしまう。その点は民主主義もあてにならんやろう。ええことと悪いことが、短いあいだにころころ変わってしまう世の中で、あてになることは何もないと思うとったほうがええ。わしらは何をあてにすればええのかの」
 父は問いかけるように間を置いた。
「自分の手で地面の土に触れて感じることは、世の中がどんな具合に変わっても、意外とあてになるのやないかの。山の仕事をしたり動物の世話をしたりしながら感じたり考えたりすることに、あんまり大きな間違いはない気がする。健太郎には退屈に見えるかもしれんが、ここの暮らしはとうちゃんにとっては悪いものではないよ」

 アツシに山狩りのことを知らせなくてはならないと思った。「雲の平」という廃村に彼の家はある。避病院まで行けば、そこから先の道筋はおのずと思い出すだろう。それほど長い距離を歩いた記憶はない。遠くはないはずだと頭でわかっていても、やはり遠い気がする。とてもたどり着けそうな気がしない。「雲の平」などという場所が実在するのかどうかさえ、いまは疑わしく思えた。距離の問題ではないのかもしれない。一人ではたどり着けない。二人でなければ、二つのものが一つでなければ行けないところなのかもしれない。

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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