連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第十五章

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 他人事めいた物言いを健太郎は怪しんだ。夜は静かに更けていた。この静けさのなかに、二丁の冷たい銃が身じろぎもせずに横たわっている。その静まり具合が、かえって不気味な残忍さを潜めているようにも見えた。
「正しいか間違っておるかは、そのときにはわからんもんでね」やがて父はのろのろと動き出す機関車のように言葉を繰り出してきた。「こないだの戦争がそうやった。これは正しい戦いで、多くの人を救うために必要だと言われ、それに納得して戦争に行ったわけやが、いまでは間違っていたという者はたくさんおる。当時は死刑にもなりかねんことやった。戦争が間違っているなどとは、口が裂けても言えんかった。思うたことを言えるのはええことだ。綾子みたいな子どもでも自分の考えをはっきり言えるのは、民主主義のええところかもしれんな」
 そこで一息つくように言葉を置いた。
「正せる間違いならええ」と言葉をつないだ。「だが間違った戦争のために、わしらの仲間は大勢死んだ。大勢の人を殺した。間違いと言って済ませられん間違いもあるでな」
 吸いかけた煙草は指のあいだで短くなっていった。立ち昇る白い煙が、非業に死んだ多くの者たちへ手向けられたもののようにも見える。
「町で暮らそうと思うことはないのかと、前に訊いたことがあったな」古い因縁話でも持ち出すように父は言った。
 健太郎は話が届いていることを示すために頷いた。
「田んぼで米を作ることも、畑で野菜を作ることも、牛や鶏を飼うことも山の仕事も、みんな単純なことの繰り返しよな」自分に言い聞かせるような口ぶりで父はつづけた。「毎年きまったことの繰り返しで、健太郎はつまらんと思うかもしれんが、それをつまらんと言うては、どんな仕事もつまらんことになる。単純なことの繰り返しに、なんかええものがあると思わんとな。わしらぐらいの歳になると、毎日、毎年同じ繰り返しのなかに月日を積み重ねていくことを、幸せと感じることがある。みんながどうかはわからんが、とうちゃんはそう感じる。なんか降り積もっていくものがあるいうかな。自分のなかが少しずつ掘り下げられて、深うなっていく気がする。同じことを繰り返しておっても、同じやないことがわかってくる」

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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