連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第十五章

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 その夜、父が居間で猟銃の手入れをしていた。油を含ませた布を細い鉄の棒の先に巻き、銃身のなかを掃除している。ときどき銃口を覗き、汚れなどが残っていないか確かめている。父が所有している銃は二丁あった。一つは上下二連式の散弾銃で、もう一つは銃身の長いライフル銃だ。散弾銃は最近手に入れたものだが、ライフル銃のほうはもっと古そうに見えた。その銃を構えてじっと照準具の先を見つめる目つきは、いつもの父とは違っている。やがて息子の視線に気づいたのか、父は銃を下ろし、
「鉄砲いうもんは、手入れを怠るとすぐに錆びるでな」と言った。
「その鉄砲は戦争でも使いよったのか」
「いや、戦争のときのものはみんな返してきた」父はいつもの様子に戻って答えた。「戦後しばらくは狩猟も禁止されとった。村の者が持っとる銃は、狩猟が解禁されてから新しく手に入れたものだ」
 父は銃の手入れをつづけた。いまは引き金のところを布で拭いている。どこか艶かしいような手つきだった。思わず魅入られそうになって、
「うまくいくかの」と健太郎は山狩りのことに言葉を向けた。
「わからんな」手を休めずに答えた。「犬など狩ったことがないけんの。普通は犬にシカやイノシシを追い出してもろうて撃つもんだ。猟に犬はなくてはならん。犬なしでは猟が成り立たんと言うてもええほどだ。その犬を狩るというのは聞いたことがない。わしらの飼っとる犬が、山に潜む野犬を追い出してくれるかどうかもわからん。同じ犬同士やけんな」
「犬が追わんなら、人が追い出すのか」
「どこかに野犬の巣があるはずだと、山に詳しい者は言いいよる。巻き猟に近いやり方になるのやないかな」
 その口ぶりから、父が今回の山狩りにあまり乗り気ではないことが伝わってくる。
「鉄砲は二丁とも持っていくんか」
「わからんの、どっちを使うことになるのか。両方持っていくかもしれん。どっちか一方でええことになるかもしれん。いずれ指示があるやろう」
 父は黙って銃の手入れをつづけた。そばに息子がいることも忘れ、自分だけの思いに入り込んでいるように見えた。父のまわりだけ空気が重たく澱んでいる。硝煙の匂いでも漂ってきそうだ、とぼんやり思いかけたところで、健太郎はふと我に返った。もちろん実際はそんな匂いなどしない。首をかしげる間もなく、問いはほとんど無意識に口をついて出た。
「人を撃ったことがあるか」
 言葉にしてみると、前からそのことをたずねたくて機会を窺っていた気がした。
「戦争やけんの」父は表情を変えずに返した。
「殺したか」
「ただ夢中で撃った」あいかわらず静かな声だった。「当たったかどうかもわからん」

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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