連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第十五章

最初から読む <

15-1

 鉱山で働いていた男が酒を飲んで、ふらふらと宿舎を出たまま帰らなかった。どこか近くで酔いつぶれているのだろう。この季節、一晩放置すれば夜の冷気が体温を奪い生命にもかかわる。仲間たちは手分けしてあたりを探したけれど見つからない。翌朝になって男は、飯場のすぐ近くの山のなかで死体となって見つかった。
 発見された死骸は凄惨を極め、剛気な山の男たちを戦慄させるほどだった。被害者はまさに惨殺されていた。強い恨みや憎しみを抱いた者の犯行、と一目見た捜査員たちは思った。しかし死骸を詳細に調べてみると、唇の周囲の肉が無残にえぐり取られたていり、舌や咽喉、内臓までもが喰いちぎられたりしている。傷に残る咬まれた痕は、鋭い歯を持った動物のものであることがわかった。
 間違いない。野犬が男を襲ったのだ。しかも一匹ではない。かなり大きな群れが、寄ってたかって男を喰いちぎった。泥酔していたのなら苦痛は感じなかったかもしれない。だが途中で意識を取り戻し、犬に顔や内臓を喰いちぎられるまま、もがき苦しみながら死んだのだとしたら。飯場で働く者たちは戦慄し、恐怖心は野犬にたいする憎しみにかたちを変えた。猟師を集めているという話は村にも入ってきた。報酬が出るらしい。鉱山の開発を進める燃料公社がカネを工面するという。寄り合いで一度は立ち消えになっていた山狩りの話が、思いがけない経緯から、より大がかりなものとして実行されようとしていた。
 この山狩りに、村の男たちのほとんどが参加することになった。もはや異を唱える者はいなかった。現に野犬に牛を襲われた農家もある。いずれ村にも人的被害が出るかもしれない。野犬にたいする憎しみと復讐心は、村の男たちのあいだにも共有されていた。いまや男たちは心を一つにしようとしていた。野犬という顕著な悪が立ち現れることによって、喰い違っていた思惑が一つの意志に集約されようとしていた。いま男たちの心をとらえているのは、悪を具現した犬たちを狩ることだった。
「前もこんなふうやったな」庭に井戸に蝋燭と水を供えている祖母が、どこか咎めるような口調で漏らした。「戦争がはじまる前も、村の男らは若いのも年取ったのも我を忘れて、妙に浮ついたようになっとった。またあれがはじまるのかの」

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

Copyright © bokuralab Design by Yuji Higashi