連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第十四章

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14-4

 つぎの土曜日、アツシは避病院に現れなかった。一時間ほど待ってみたけれど、やって来る様子はない。彼が住んでいる山の集落へは、行こうと思えば一人でも行けそうな気がする。道はわかっている。ただ暗い針葉樹の森に入るのは気が進まなかった。おかしなものに取り憑かれても困る。何か急な事情ができたのだとすれば、訪ねていっても留守かもしれない。もっともらしい口実をつけて避病院をあとにした。約束をすっぽかされたというよりも、最初からわかっていたことを確認したという気持ちのほうが強かった。
 村に入ったところで、向こうからやって来る豊に会った。昭の家に行った帰りだという。
「見送りに行ったが、もう出たあとやった」
 出発は土曜の午前中と本人が話していた。今日がその日だったことを、健太郎はすっかり忘れていた。
「会えんかったか」
 豊は残念そうに頷いた。
「ひとこと見送りを言いたかったのやが」
 二人は田んぼ沿いの道を折れて歩いていった。しばらく行ったところで、
「武雄はあいかわらず学校へは出てきてないのか」と豊がたずねた。
「そういえば最近は学校を休んどるな」問われたままに答えると、
「おまえ、知らんのか」
 豊は心底呆れたという顔で健太郎を見て、武雄がいま新吾の次兄のところで暮らしていることを告げた。農作業の手伝いなどをしながら、猟師になる準備を進めているらしい。
「ちいとも知らんかった」
「呑気やな。同じ組やのに」
 二人はどちらからともなく土手の草の上に腰を下ろした。刈り入れの終わった田んぼに、二番穂の緑が戻ってきつつあった。遠くのほうで草を焼く煙が立っている。大きく息を吸い込むと、枯れ草の匂いとともに、少し湿っぽい煙の匂いが胸のなかに入ってきた。
「昭もこんな中途半端な時期に転校しては大変やろうな」健太郎は去っていった同級生のことに言葉を向けた。
 豊は表情を変えずに近くに生えている草をちぎっていたが、やがて打ち明ける口調で、
「わしは昭がどっかへ行けばええと思うとった」と言った。「都会から来て、頭も性格もええ。欠点らしい欠点は見当たらん。一緒におると自分が見劣りするように思えて、昭にあんまりええ気持ちをもてんかった。嫌いというわけやないが、なんとのう苦手やった。引っ越すと聞いたときも、ほっとしたいうのが正直なところやった。そういう気持ちになっとる自分が、なんやらつまらん人間に思えてな」

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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